浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

退院しました

再診まではまた結果待ちの日々です

 二泊三日とはいえ、寝具に対して異様に拘りのある私なので枕が変わると眠れないタイプだったりします。消灯九時にいつも飲んでいる寝る前の入眠剤とかを飲まされるので、寝付けるのは寝付けるのですが、変な時間に何度も目が醒めたりしてそれだけでも結構げんなりでした。

 一番辛かったのは手術日当日は飲食禁止、という奴で、水も飲めないから当然薬もNGな訳です。またそういう時に限って出るわけですよ頭痛が。幸い術後の痛み止めがそちらにも多少は効いたようで、極期の痛みには至りませんでしたが、翌日朝薬解禁になるまでは大分しんどかったです。

 手術自体は40分位で終わったらしいですし、私本人は「はいじゃあ眠りますね~」といわれて、「眠れつって簡単に眠れるなら毎晩苦労してないわよ」と思いたかったのですが、生憎「眠れっつって…」くらいでもうオチてまして、気づいたら「ひさきさーん、わかりますかー、おわりましたよー」って言われてました。やー全身麻酔凄い。

 ちなみに全身麻酔の際喉に挿管するので、術後声が掠れたり風邪様の症状が多少出ると言われていたのですが、幸い時間が短かったせいかそこまで影響はありませんでした。頭痛的にも流石に術後的にも行ける状態になかったので、退院日のレッスンはお休みしましたけど。

 

結果待ちとはいえど

 基本、所見は「癌」です。体癌か、それが腺癌(スキルスのように繊維に広がって食い込んでいるような奴らしいです)になっているかで大分違うらしいですが、感触としては体癌初期、但し詳細はやっぱ病理検査の結果を待たないと判らないので、5/1の再診までは不明のままです。どちらにせよ癌には違いありません。

 癌という奴は進行しますから(今「しんこう」の第一変換が「新公」でちょっと嬉しくなった馬鹿野郎です)先生としては勿論一刻も早く摘出したい訳ですが、それがすんなりできない障害が一つあります。

 主に糖尿に関係する値なのですが、ヘモグロビンA1Cという検査項目があって、私の場合これが異常に高すぎる値なのです。感染症の危険、血が止まらない危険、血栓の危険を伴う為、この値が高いままでは手術は到底できるものではありません。

 慶應の婦人科で最初の所見が出た時点で即効食事を制限食に切り替えたので、血糖値、体重共に順調に下がっているのですが、ヘモグロビンA1Cの値だけが逆に上がっている有様です。

 元々そう簡単に下がる値ではないので、今の私の数値からしたら手術が出来る値に下げるまで、普通のやり方をしていたら一年はかかります。ですがその間にも癌は進行しますから、悠長なことは言っていられません。

 ですので婦人科の担当医には、まずそちらの値を手術が出来る値にする為に再入院が必要、ということと、何かあった時に全てを慶應内でバックアップ出来る態勢を作りたいので、今までかかっていた内科医、心療内科医の診療情報提供書を取ってきて、慶應の内科と精神科を受診してくれと言われています。そこでヘモグロビンA1Cの値をなんとか下げて、癌の方の手術、ということになります。要はヘモグロビンA1Cの値と癌の進行のチキンレースです。

 

明るい所見では勿論ありませんが

 本人はある程度予めわかっていたことだったので、そらそうだろうな、というのが正直な感想です。母はやはりそれなりに動揺していますので、私に対して不安定な言動が増えていますが、幾らこじれにこじれているとはいえ、今は母を頼るしかない自分が何を言う権利もないので黙って聞いています。

 ただ、窮地に陥るとアドレナリンが出るタイプの人でもあるので、張り切ってあれもやるこれもやるとあれこれ私の全てを支配に及ばれたら、多分精神科のお薬が増えるだけだと思うんですけれど、それを彼女に今の私が言っても仕方ないですし、なまじ今私がきつい事をいうと、自分の命を盾にとって脅迫しているも同然になってしまいますから、一応そこは弁えて控えています。

 命に関わる関わらないを別としても、今回最終的に待っているのは子宮全摘という、私が出産する可能性を全くのゼロにしてしまう手術ですから、本当に薄汚い底の底にある母に対する本音を白状すれば「ざまあ」に近い感情があるのは、否定できません。私は子供はどうやっても産めなくなる、これであなたの血はここで途切れる、負の連鎖だってここで切れる、これ以上の復讐はないだろう、という怨念籠もる昏い昏い思いです。その位、私は未だに中二病の尻尾を引きずったまま、30年も自分の母親を恨む感情をどうにかしようとしてきてどうにもできなかった、しょうもない人間なのです。それが自分の多幸感を損なっていると判っていて尚、今の今まで捨ててこられなかった感情です。

 チキンレースに既に乗っかっている以上、エンディングノートも書き始めましたし、今更綺麗事は申しません。

 

帰ってきて一番にしたことは

 勿論心細くそして不満な思いをしていた娘達にごめんねごめんねと詫びてフォローをすることでしたが、つぎにしたことはやっぱり、入院グッズのお片付けをしながら歌うことでした。出て来たのは何故か明治の応援歌でしたけど。♪光輝みつ我らが母校明治の名をおいて~♪ってあれですあれ。途中でリズムが変わるのが応援団としては振りが難しいんですよね。私あの応援歌で母校の体育祭で応援団やったことあるんです、女子校ですからセーラー服でですけど。今思うと母とは血で血を洗う修羅場を日々繰り返しながらも、私の高校時代は本当に恵まれた「これぞ青春!」っていう感じの思い出に溢れています。クラスでは完全に浮いてた方でしたし、ひそひそした噂話や陰口の対象になったり後ろ指さされることの方が多かったように思ってたんですけど、時がその辺りを洗い流してしまうと、本当にあの期間はあの期間だけしかない、天与の時だったなと思います。

 や、話が逸れましたが、入院中は部屋で声は出せませんから、精々プレイヤーからとうこさんの歌声を聞いて涙するとか、シャワー室で、隣が留守なのを確認してホントに囁き声で歌ってみるとかその位しか出来ませんでしたけど、おうちに帰ってきたらいつ歌うも自由!なんて幸せ。それで喉の調子も確認したんですけど、大声さえ出さなければ挿管の影響はそんなにはなさそうだというのもわかりました。ちょっとした風邪を引いたときくらいの感じ。

 誰の何ってわけではなくていい、それでもなにか口ずさんでいる時、いいようのない幸福感というか、歌う為のこの呼吸が出来ているうちは大丈夫だっていう、得体の知れない安心感があります。

 心が強張っている時って躰も大概強張っているから深い呼吸ができなくなるじゃないですか。歌ってみればそんな状態ってすぐに判りますから、そしたらもっと深呼吸して深呼吸して心を穏やかに穏やかにして、そうしてもう一回歌ってみたらいいんです。少しは楽になりますもん。手のひらを太陽にでも、阿修羅(世古武志さん個人的代表曲)でも。

 次に入院したら多分もっとずっと長くなるでしょうから、再診までに精々歌い溜めておきます。

 

それにつけても暇で暇で暇で暇で

 鯛に靴を履かせてたいくつ、とか下らないパタリロネタを引っ張り出したくなる程に退屈で退屈でしょうがなかったです。3DSは一応もっていったんですけど、ソフトのチョイスを誤ったかも知れません。積みを崩す予定だった真女神転生Ⅳは余りの難易度に早々に心が折れてしまいましたし、カルドセプトはワンプレイが長すぎて、ちょいちょい看護師さんが来る状況ではちょっとやりづらかったですし、ブレイブリーデフォルトの完全版商法的なフォーザシークウェルは露骨にアイテム課金要素を入れてこられて萎えること頻りでしたし、リメイクデビサバは、ダンジョンの途中でセーブしてあってそれまで何してたのかすっかり忘れてますし、次回の入院の際にはもう少しラインナップを増やして臨もうと思います。入院病棟にいる限りそんなにすれちがい通信は拾えないという事がわかったので、DSのソフトやっててもそこまでは惜しい状況じゃないというのも呑み込めましたし。

 それでも一日目はゲームしてられましたからまだ良かったですけど、二日目は朝一で点滴を手首の辺りに入れられてゲーム機持とうとすると点滴の長い針に触って痛いんですよ。なんで、丸一日、手術の予定は午後でそれもずれ込みにずれ込んでただただ待たされて暇なだけという、それが一番の苦行でした。ひたすら頭の中でとうこさんの歌とか他の宝塚の歌とか歌ってましたよ、もう。スカピンの全場面を頭の中で完全再生したら三時間は潰れるよなぁできるかなぁ、とかもうホント必死でした。

 点滴いれられてなければ多分ゲームしてたと思うんで、手術がない入院だったら沢山の積みを崩すことでどうにか出来るんじゃないかという希望的観測はあるんですが、問題はその後の手術を含んだ入院ですねぇ。

 

基本はネガティブな人間ですが

 ネガはネガを呼ぶので、こういう時は流石に封印します。尤もあまりそれをやり過ぎてしまうと逆に私らしくないというか、寧ろ躁転してる?ってくらいになってしまうので、程々に、ですけど。

 手術の方は兎も角、その前の入院を一分でも一秒でも短くしなければチキンレースに負けることになるので、お留守番をさせてしまう上に置いていくなんて事になったら娘達に申し訳なさ過ぎますし、出来ることは出来るだけ頑張るつもりでいます。

 丁度この入院の前、私がヅカ友に引っ張り込みつつある友達が、6/5の青山劇場の100周年記念のOG公演のチケットを取ってくれたのです。常演メンバーの中にはわたるさんと、それからなんとまりもも!!それだけでもうなんとしてもそこまでには、退院は多分無理でもせめて外出許可をもぎ取れるようにっていう、もの凄いパワーが湧いてきます。その帰りについでにカラオケ寄ろうかなんていったら二翻どころか満貫でしょう。

 こういう状態が現実逃避、というのとは、多分違うと思います。チキンレースに負ける可能性、つまりは癌の進行が早すぎてヘモグロビンA1Cの値の下がりを待っていられなくなった場合だったり、癌自体が進行と転移の早い厄介な腺癌の方だった場合、あらゆる可能性は想定して、それが自分に躰にどうダメージになるのか、どう寿命に影響するのか、或いは何処で命を落とすのか、元がネガティブな人間ですから常に最悪は考えます。

 でも、治療をしていくとなったら、最悪の事態を考えるのは私の仕事ではないと思います。私は常に治ること、良くなることをイメージしてそれに向けて努力をしなかったら、いつ何時心が折れて「いつ死んでもいいや」なんてやけっぱちなことにならないとも限りません。何しろ元来は素でそういうことを思いがちな人間ですから。

 でも娘達は絶対置いていけないし、何よりもう歌えなくなることが心底恐ろしいです。娘達がおらず、歌というものが私から引き剥がされたらきっと私は生きる気力を根こそぎ失うでしょう。娘達と歌は私の生きる背骨です。そしてそれを周りからぐっと支えてくれているのが大事な友人達です。本当にこういう時に人の情けが身に染みます。

 私自身は、RPG風にいうならHPの高いタイプではありません。ただ、その手のパラメーターでいうと技とか速度とか、あとは人よりちょっと高めの攻撃力でなんとか凌いできている、盗賊とか忍者とかあの辺のキャラですね。モンク系といいたい所何ですが、そこまでの質実剛健さというか、線の太さは私にはありません。

 なので、しょっちゅう「おおひさきよ、しんでしまうとはなさけない」ってな事になりがちですが、そうした私の周りにはよくしたもので、割と僧侶系の人がいてくれていつもいつも助けてくれます。本当にどれだけ感謝しても足りません。

 そういうものたちと離れないでいる為に、ネガティブな私はえいっと控えめにしておこうと思います。常に深呼吸をして、眉間に皺は寄せず、歌いながら、笑いながら、で。