浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

“猟奇的でロリコンに関する物”

9年前の栃木での女児殺害事件の犯人逮捕

 「猟奇的でロリコンに関する物を押収」というのは、上記事件に関するニュースサイトの記事に書かれていた文章そのままです。「猟奇的でロリコンに関する物」って具体的に何なんでしょうね。私にはわかりやすいそのもののロリっけショタっけが殆どないので、この辺りは詳しい方に伺わないとわからないんですけれども、昨今ロリ雑誌ってどんなのがあってどんな人が描いてるんでしょう。もういい歳なので昨今の流行り廃りはわかりませんから、ロリポップとか千之ナイフさん位しかぱっと思いつけません。

 多分今有象無象が積み上がっている私のコミックス群を漁れば、メディウムという、雑誌と言っていいのかもよく分からない、いつ発売なのかもよく分からない、そして13号で終わりになった謎の出版物が出てくるはずですが(しかも割と表層地帯から)、あれは一応体裁はホラー系ってことになってましたから、あれに描いてた千之ナイフさんの作品は「猟奇的でロリコン」になるのかなぁ。考えたらあの雑誌、結構ロリコン雑誌執筆者もいたような気がします。西秋ぐりんさんとか。

 ロリコンってどの辺までを指すのか、猟奇的というのはどのような物をいうのか、漠然としすぎていて、何がOKで何がNGなのかは恐らくもの凄く恣意的なものなのだろうと思います。少なくともこの記事を書いた記者は、実物を見た上でそう判断したのか、警察発表をそのまま文字にしたのかわかりませんが、兎に角現場でそれを見た人がそれを「猟奇的でロリコン」と思ったからそう記されただけの事だと思います。

 ただ、条例化や法律化する上ではそんな恣意的な物では困るから「毛があったらNG」とか「局部にボカシ(黒塗り)がなければNG」とか色々基準を定めてみてはいたちごっこになって、あってないようなものになっているような気がしないでもありません。

 

実父に性虐待を受けていた

 東小雪さんの「なかったことにしたくない」という本が、多分一昨日とか昨日とかその位に発売されている筈です。彼女はサバイバーですが、同時にレズビアンでもあります。ですから今の彼女は「性の多様性」を訴える立場でもあります。彼女を虐待したその父親である男性が、どのような性的志向で彼女に対して性行為に及んだのかはわかりません。血縁であるからよかったのか、幼く無力であるからよかったのか、それは当人にしかわからないことですが、ただ少なくとも合意を得ない性行為は充分な傷害であり犯罪であり、著しい人権の蹂躙です。東小雪さんが訴えているのはあくまで「正当な関係性もしくは人権の上に成り立つ性の多様性」であり、それを無視したものではない、というのは、彼女が上梓している三冊の本を並べてみれば容易に想像できることです。

 昨今の三次元児童ポルノでは親自身が子供を売っているケースが少なくありません。目先のお金の為に我が子のそれこそキワキワな写真や着替えの盗撮などを、赤の他人に平気で売り飛ばせる親がいる、ということそのものが三次元児童ポルノの根本的な問題であり、それは勿論需要があるから供給がある訳ですが、親として機能していない親はそれだけで充分に人権蹂躙の犯罪者であるといって過言でない気がします。親がパチンコをしていて車内に置き去りにされた子供が死ぬケースが年間にどれだけあるでしょう。つい先日も、食べ物がなくて衰弱死すると判っていて部屋に閉じ込めて死なせたケースが発覚しましたが、幼児、児童にとっては親だけが保護してくれる絶対の存在です。でありながらその機能が果たせない時点で、親失格どころではなく人間失格ですし、我が子の人権すら守れない親の人権が保護される必要はないと個人的には思います。

 

受け容れがたい物にはアイコンが要る

 では翻って、他者に迷惑をかけず、他者の人権を蹂躙せず、同好の士だけでひっそりと楽しまれている物に対してまで、官憲や赤の他人がズカズカ踏み込んで「それは反社会的行為である」と断じていいものなのでしょうか。そこまでいくと、表現の自由という人が持つ権利の侵害になりはしないでしょうか。児童ポルノ規制について今せめぎ合い取り沙汰されているのは、正にその点なのだと思います。

 更に言うなら、人間の心は、赤の他人にどうすることも出来ません。最悪な形で人の人権を貶めた一人である佐川一政は、ごくごく幼い頃から人肉食妄想があったと言います。その妄想が妄想で終わっていれば、誰も彼を取り締まることは出来なかったでしょう。事件として発露して初めてそれは犯罪行為になるのであって、例えば痴漢物のAVが普通に市場に出回っている以上、それを観る人を咎める事は出来ません。その人が実際に痴漢をしたら初めてそれは犯罪として扱われますが、脳内で何をどうしようともそれは他人が踏み込める領域のことではないですよね。

 だからこそ、なにか犯罪が起こった時にその人の内面を示す、本棚であったり趣味のコレクションであったりを殊更に取り上げて、猟奇的のロリコンのと言うのだと思います。

 これは未遂に終わった事件ですが、以前アメリカで少女を監禁して拷問して食べてしまおうという計画を練っていた犯人の部屋から、数本のホラー映画のDVDが発見されました。官憲はここぞとばかりにそれを公表しましたので私もそのラインナップを見ましたけれど、きちんとアルファベット順に並べてあったその映画群は、好みを度外視して言うなら私の目にはさほど過激な物には見えませんでした。それでもやっぱり官憲は「そらみたことか」と言わんばかりにそういうものを出してくる訳です。

 宮崎勤事件後はホラー映画のみならずロリコン雑誌、アニメ雑誌等も恐らく影響を受けただろうと思います。彼のコレクション部屋の異様さを殊更にあげつらうような報道が当時多かったような記憶もあります。しかし今我に返って自分の部屋を見回してみれば、あの時報道されていた宮崎勤の部屋と、大差があるようには余り見えません。寧ろ私は秘蔵コレクションを3倍で録画するような真似はしませんし、通常版と初回限定版があれば迷わず初回限定版を買うような、ある意味宮崎勤以上のボンクラです。

 当たり前のことですが、全てのホラー映画ファンが殺人を犯す訳ではありませんし、全ての痴漢AV好きが痴漢に及ぶ訳でもないですし、全てのレイプAV好きが全員レイプ犯になる訳でもありません。逆に、そういう願望をそうしたアイテムでガス抜きしているからこそ、強固な妄想になって人に危害を及ぼす前にもっと気楽な形で治まっている所もあるように思います。

 ただ、何か受け容れがたいことが起こった時、人はそれに原因を求めます。原因を探してそれをさえ潰してしまえば同じことは起こらない、同じことがまた起こったら怖い、というそれは強い恐怖心からなのだと思いますが、コロンバイン高校銃乱射事件ではマリリン・マンソンがやり玉に挙がりました。それを「馬鹿げたことだ。だとしたら彼等全員がボウリング部に所属していたのだからボウリングが原因だとも言えるじゃないか」と皮肉ったのが「ボウリング・フォー・コロンバイン」というマイケル・ムーアのドキュメンタリーです。横紙破りな人ではありますが、マイケル・ムーアのそういう所は割と私は好きです。

 実際、コロンバイン高校事件以降も学内での銃乱射事件はアメリカで起こり続けている訳なので、マリリン・マンソンを叩こうがどうしようが、彼がいようがいまいが、類似の事件は起こる訳で、コロンバイン高校の事件への対応は類似の事件への抑止にはならなかった、と言うことになります。

 安心を欲するが故にアイコンを設定し、それを叩く、もしくは潰すことで何か対策をした気になって、本来の問題点から目先が逸れてしまい結局なんの対策にもなっていない、ということは沢山あると思います。人は易きに流れるものであり、わかりやすい物程受け容れられやすいというのが実情である以上、ある程度そういう傾向があることは仕方のないことだとは思うのですが、それじゃ根本的な解決にならないよ、という気もどうしてもしてしまいます。

 

もしも私が殺人でも犯したら

 まぁそれはそれはさぞかし色んな方面から色々言われるんだろうなと思います。DVDコレクションにはホラー映画、暴力映画の山、本棚をひっくり返せばやれ世界殺人百科だの連続殺人犯だの虐殺の歴史だの、CDにはメタルが山程あって(何故かメタルは犯罪と結びつけて槍玉に挙がることが多いです)、どこからどうつついてもその手のアイコンに不自由しません。

 しかし幸いなことに私は今まで極端な犯罪を犯したことはありませんし(駐車違反くらいはありますけど)、今後も多分そんなエネルギーのいることをする程元気じゃないと思います。

 億万が一、例えば私が母を刺し殺したとしましょう。私を知っている人であれば、私と母がどの位こじれているか嫌と言う程ご存じでしょうから、まずもってホラー映画のせいとは言わないでしょうが、母親殺しという、殺人の中でもある意味世に受け容れられがたい方の犯罪であれば、やっぱりアイコン探しはされるんだろうなと思います。

 そういえば、佐世保で小学生が同級生をカッターで切り殺した事件の時には、バトルロワイヤルが槍玉に挙がったんでしたっけね。世の中にはバトルロワイヤルを読んだ小中学生は山程いたと思いますが、全員が殺人犯には当然なっていません。

 但し、思春期前の子供は善悪の判断が単純で短絡的ですから、彼等が不図良からぬ事を思いつかないよう、その手段を無闇に教えてしまう環境を作るべきではない、とは思います。

 確か母親を毒殺しようとした女の子が尊敬する人にあげていたのはグレアム・ヤング(有名な毒殺犯)でした。グレアム・ヤングの名前を中学生が尊敬する人にあげている時点で、それは相当な危険信号だと思うのですが、その時点で気づいた人がいなかったのが不幸だったと思います。不幸中の幸いだったのは、実際に毒を盛られたお母さんが亡くならなかった点だけでしょう。

 日本にも裁判員制度が設けられ、以前よりも民意が反映されやすくなっている部分がありますから、易きに流れる感覚でアイコンを叩く方に意識が行ってしまえば、起こった事件の本質を見失うことになりかねない、という気が私はどうしてもしてしまいます。特に何となくで「猟奇的」だの「ロリコン」だのと報道機関にあっさり書かれてしまうと尚のことです。勿論栃木のこの事件は特殊性癖があっての犯罪ではありましょうけれども、世のそれらのものを十把一絡げにして語るのもまた安直に過ぎると思います。わかりやすいアイコンというのは、容易に印象操作に使われる物でもあるからです。

 実際アメリカの裁判でよくあるケースが、被告が被差別人種だった場合、弁護士は間違いなくその点をアイコンにして「差別だ!」と声高に叫びます。結果レイシストだと思われたくない陪審員がその被告を無罪にしてしまうというケースは今まで結構大きな裁判でもあったと思います。

 何か吃驚するような事件が起こった時、容易に印象操作に繋がりかねないアイコンにばかりではなく、根本的な問題の方に踏み込んだ視線を持っていたいというのは、自戒を込めて思うことです。

 昨今twitterだのなんだので、ニュースのキャプションだけが滝のように流れていくのを見ると、必然的にもの凄く要約された極端な文字列だけを見ていることになります。それに脊髄反射で気楽に何か言えてしまうのが昨今のツールですが、もしも何か言おうとするのなら、一歩踏み込んで記事のリンクを踏んで記事の全文を読み、一次ソースを確認してからにしようとつくづく思います。

 

 で、その押収された「猟奇的」で「ロリコン」なものってなんだったんですかね?