浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

御巣鷹へ向けて黙祷

甲子園のサイレンを聞くと

 平沢進の超名曲「サイレン」と共に、あぁ、日航機墜落事故の季節だ、と思います。何故ならその時私は小学生で、山梨の母の実家で甲子園を見ながら、臨時ニュースや速報のテロップを見た記憶があるからです。子供でしたから、飛行機が墜落したんだ、ということと、生存者がいたんだ、ということしか認識できていなかったと思いますが、ヘリで川上慶子さんが救助される映像は、子供心にも強烈でした。そして救助された後川上慶子さんが、病院へ運ばれて手当を受けた後、何度かマスコミのインタビューに答える姿を見て、まず美形と言って差し支えないであろう彼女の容姿と、何かに取り憑かれたような目力の強い印象が残りました。

 8月12日になると、大体例年mixiの日記であったりtwitterであったりで、何かコメントをしていると思います。遺族でもない私が何故こんなにはっきりと日付を覚えていて、毎年毎年言及せずにいられないのかというと、川上慶子さんが救助された時、実は私と同い年であった、という事実に本当に最近(2004年とかその位)気がついて、もの凄く強烈にショックを受けたからです。

 あの時あのヘリのロープで救助の人に抱えられていたあの少女は、確かに「小学生位の女の子だ」とは認識していましたが、マスコミを通じてブラウン管で見るその人は子供心に余所事というか遠い出来事で、生々しくその時祖母の実家で甲子園を見ていた私と同い年だった、という認識が全くなかった為に、その事実に気づいた時酷く心が乱れました。何故かはわかりません。

 ただ、松谷みよ子さんの「私のアンネ・フランク」という本を思い出しました。松谷さんの代表作の一つでもある「ふたりのイーダ 直樹とゆう子の物語」の直樹とゆう子、そしてその母のその後のお話として書かれた本です。今現物が手元にないので、あの直樹とゆう子のお母さんの体験が、松谷さん自身の体験だったのかどうかは定かではないのですが、作中ジャーナリストであるお母さんが、自分がアンネ・フランクと実は同い年であった、という事実に気づいて愕然とする場面があります。昭和の事ですから、自分の生年月日は西暦よりもまだ元号での感覚の方が強かった時代だったと思いますし、なによりあれだけ世界中に「少女のままのアンネ」が知られている為に、今現在子供を二人産んで育てている自分自身と、重なり合わなくても無理はないと思います。ですからその事実に気づいた時にお母さんは酷く動揺します。恐らくそれと同じような感覚が私にも起こったのでしょう。

 

未だに蔓延る奇説怪説

 川上慶子さんと自分が同い年であると気づいてから、私はあの墜落事故について相当時間をかけて随分色々調べたと思います。各方面からの陰謀論など奇説怪説も沢山ありました。自衛隊機との接触だったの、アメリカ軍のミサイルとの接触だっただの、ボーイング社が自社の製品の不具合を隠していただの、多少の納得のいく物から、なんだそりゃというようなものまで各種取り揃えです。未だにそうした風聞が消えてなくならないのは、墜落の原因究明が、中途半端としかいいようのない打ち切られ方をしており、事故調の出した結論が正しいと思っている人は今現在誰もいないからではないでしょうか。

 実際今年もフジテレビが「フライトレコーダーから新事実が」などという番組を企画しています。私自身はフジテレビに好感情を持っていない為、番組の内容に期待も信用もしていませんし見る予定もありませんが、もし万が一20年以上経ってこれだけ検証しつくされて尚、まだ何か信憑性の高い情報が出て来たとしたら、翌日のニュースにならない訳がないので、それで確認すればいいやと思っています。

 

風化されつつある「日航機墜落事故

 事故から29年も経てば、当時の遺族は殆どがご高齢の方になってしまっており、慰霊登山に参加できる人も年々減っているといいます。ただ、遺族の方々で行っておられる「8・12連絡会」の会報である「おすたか」は、今年7月100号を迎えたそうです。

 この事故を風化させてはいけないなと私自身が思う一つの理由に、日航という会社の体質があります。故・山崎豊子さんの「沈まぬ太陽 御巣鷹編」は、あくまで小説として書かれてはいますが、日航(をモデルとした会社)と労組の間の摩擦であったり齟齬の大きさであったりをかなり強く印象づける物でありました。民営化されて27年、経営破綻して4年も経つというのに、元々の親方日の丸体質が未だに抜けていない物か、昨年10月から1年間での整備ミスが16件、これではとても御巣鷹の教訓を生かしているとは言えないと思います。あの事故の時点でもっと踏み込んだ原因究明がされていれば、その体質も多少はどうにかなったかも知れない、あれ以降起こった事故や整備ミスもあるいは防げたかもしれない、そう思ってしまっても無理はないですし、未だにご遺族の目が厳しいのもわかる気がします。

 但しご遺族に関して言うなら、これは私自身が一次ソースを確認していない「ただの風聞」ではありますが、日航123便墜落事故の遺族に対しての賠償の一環としてとでもいうのか、事故の遺族、またはその関係者であれば、遠縁であってすらほぼ無条件でコネ的入社が出来る、それに乗っかって遺族側も案外利益を得ている、という話もまことしやかに囁かれてはいます。本当に近しい遺族の方には、どれだけ償っても償いきれる物ではないと思いますが、火事場泥棒とでも言えばいいのか、遺族の遠縁であるのを良いことにそれを利用する人もいたかも知れません。あの墜落事故の直後の現場であってすら、日航側が遺族に対して手配した食事などを、何の関係もない人が食べに行っていたなんていう話は、幾つかの書籍で結構目にしました。そういう混乱の場でそれを良い様に利用する輩というのはどんな時にでも現れるものなのだなと呆れ半分思います。

 いずれにせよ、日航の体質は社長が何代替わろうと、そう大きく変わっているようには思えません。それは事故の遺族とは最早無関係の所であってさえやはり問題だろうと思うが故に、私自身毎年しつこく8/12になると、この話をmixiなりtwitterなりで一々持ち出しています。但し、持ち出す理由はあくまで私自身の個人的衝撃が元にあってのことですが。

 勿論そんな個人のささやかすぎる主張などがなくとも、実際のご遺族のお孫さんであったり、凄惨な現場を目の当たりにすることになった上野村の方々であったりが、決して風化させてはいけない、御巣鷹は空の安全を祈る象徴的な発信地で有り続ける、と強く願っておられますので、是非とも次世代に受け継いでいって頂きたいと心から願っています。

 

お勧めの関連書籍など

 前代未聞の大事故だった上、原因追及が中途半端に終わってしまった為、あらゆるアングルからの関連書籍は非常に多いです。

 その中で、誰にどう聞かれても文句なしのイチオシはこれですね。

御巣鷹の謎を追う -日航123便事故20年-』 米田憲司
http://amzn.to/nfiFq0

事故後20年経ってから出版されているだけのことはあって、直後に出た奇説怪説、後出しされた証拠品なども、全て含み置いた上で取りまとめられており、また筆者の中に何かの説に傾くバイアスがないため、「あの事故はどのように起きたのか」を知ろうとするには、一番冷静で夾雑物がない本だと思います。そして何より、フライトレコーダーと、123便が墜落までにどういうルートを辿ったかを可視化し、併せて検証を試みているDVDが付属しています。

 勿論フライトレコーダーの音声は、それだけを聞いていても何のことだか素人には非常に判りづらいです。専門用語が多い為航空関係者、専門家でないと意味が取れない箇所は沢山あります。この本の中には、声紋の研究や声の聞き取りを専門とする研究所にレコーダーの内容の聞き取りを依頼した所、返ってきたものは日本語として意味をなさないような部分も多かったと記してあります。その為著者は航空関係者と共に確認をし直して、著書の中でとても細かく検証をし直しています。

 但し、先に書いた通り夾雑物が少ない分、本当に「渾身のドキュメント」と帯に記されている通り、もの凄く内容の詰まった硬い本なので、「読み物」としては硬すぎて苦痛に思う方もおられるかも知れません。何しろ筆者の方が赤旗の報道記者さんですので。あ、赤旗の記者さんと言っても、本書の内容に左がかったバイアスは全く感じられないので、その点についてはご安心頂いて大丈夫だと思います。

 これまた一次ソースを私自身が確認していない不確かな情報ですが、生存者であった川上慶子さんのご両親が共産党支持者だったという話もあるので、その辺りで取材がしやすかった可能性はあるかもしれませんが、それだけでとてもこれだけの書籍は書き上げられないと思います。日航機墜落事故に関してはこの一冊で充分ではないかと言う程、内容は濃く、あらゆる角度からこの事故を検証しようとしている一冊です。

 ただ、非常に残念なことにこの本では、生存者であり日航のフライトアテンダントでもあり、いわゆる「落合証言」としてマスコミに散々取り上げられることになった、落合恵子さんへの直接の取材がなされていません。

 その部分を補完する物として

『墜落の夏―日航123便事故全記録』 吉岡忍
http://amzn.to/nEIyI6

を上げておきます。この本に関しては著者の考察どうこうよりも、著者が直接落合さんにインタビューをして、生の声をそのまま記している事が非常に重要です。

 但し、その落合さんのインタビューは現在WEBで同じ内容が読めるので、その為だけに買うのは勿体ないですが、この筆者も、比較的事故直後に上梓した割には、奇説怪説陰謀論へのバイアスが比較的少ないとかんじられますし、なにより米田さんの本は兎に角詳細過ぎて読むのが非常に大変なので、その点ではこちらの方がとっつきがいいと言えます。

 また、全く違ったアプローチから記された物として、

『墜落遺体 御巣鷹山日航123便』 飯塚訓
http://amzn.to/oqAadt

も推しておきます。実際に墜落直後の現場に立ち会うことになった、ご遺族、日航社員、地元の方々、そして各地から寄せ集められた医師達が、どうその凄惨な現場に向き合ったかが、検死をした医師の長であった方の視点で書いており、アングルの違う所からの事故の貴重な証言と言えます。

 但し、事故後の写真の掲載なども含めて、内容はかなり凄惨ですので、流石にお食事時、または前後にお読みになることは余りお勧め致しません。

 どうしても、著者の立場によって、例えばあの時県警の指揮を取っていた方だとか、○○の専門家、とかになると、ご自分の領域に寄せて書かれてしまうので、微妙なバイアスがかかるのは避けられないことですが、そういうものも読んでみて、他の資料と照らし合わせると「ん?それはちょっと違うのでは…」と感じることも結構ありましたので、そういう意味では上記三冊は、少なくとも一番の争点であろう事故原因に関して、おかしなバイアスは私自身はかんじませんでした。

 最後に、御巣鷹関連情報の最大手と言っていいであろうサイトをご紹介しておきます。

日航機墜落事故 東京-大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-index.htm

上記サイトの中に、先述の吉岡忍さんの落合恵子さんへのインタビュー全文が掲載されています。また、『墜落遺体』の飯塚さんとは違う立場の歯科医師である大国さんの手記もここで読むことが出来ます。

落合さんのインタビュー
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-ochiai.htm

大国さんの手記
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-mimoto.htm

 奇説怪説陰謀論などの方にご興味がある方は、私はそちら方面には明るくないというか、避けて通って上記の三冊に行き着いたので、WEBで検索なりしてみて頂くと、突拍子もなさ過ぎて笑うしかないようなものまで含めて色々出てくると思います。

 

 なにはともあれ、今年も御巣鷹の尾根に向けて、心からの黙祷を捧げます。