浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

「明けました」が

今は「おめでとうございます」を言える心境ではなく

 2016年最初のポストは余り明るくは始められません。読んで下さっている皆様方には大変恐縮です。

 年賀状を出しても良いですか?と尋ねられたので、いいよ、と答えたら、1/1には多分間に合うと思いますと言っていた友達が、12/29に亡くなりました。投身自殺でした。

 その人はセクマイサロンで知り合ったお友達で、東北に住んでいる為やり取りはFBかメールか電話が殆どでしたが、私に少し似た所があって、でも私よりも多分危なっかしくて、だからか、私にとってはもの凄く気になる人でした。なので、サロンきっかけで繋がったFBだけではなく、twitterやブログや、それからパートナーの方とやっておられたカップルサイトも、まるで追っかけのように全部チェックしていました。

 予兆はなくはなかったと思います。あれ?と思ったツイートがあったので、その時連絡していたら…とは思わなくもないですが、多分もの凄く衝動的なものという訳ではなくその子の中では既に決まっていた事だったんだろうな、私が何を言っても多分何も変わらなかっただろうな、という気もしています。

 そして今、私の目の前にはその子からの年賀状があります。

 横浜のレインボーフェスでたった一日、その子とパートナーさんと他のサロンの友達達と一緒に過ごせました。横浜に来られたことが嬉しかったようで、その日のその子はとても素敵な笑顔を何度も見せてくれました。名残惜しくて夜行バスで帰る最後の最後まで一緒にいて、帰り際に「またね」とぎゅっとハグをしました。とても細くて、何だか痛々しいなと思ったのを覚えています。

 その人、とかその子、とか書いているのは、戸籍上は女性ですけれども、本人に性別違和があり、本人の自認としてはFtXだったのもありますし、何よりいつも名前で呼んでいたので、「彼女」でも「彼」でも私の中ではないからです。

 似ていたからこそ、私はその子に言いたいことが山程あります。ここ何年もずっともう心の弱い私は、「で?このクズはいつ死ぬ訳?」と思いながら毎日を生きているような所がありました。でも、こうして置いて行かれてみて、そういう自分の責め方をしても、自分のみならず周りの大好きな人達までを傷つけることになるだけだと痛感します。ですから、私はそういう自分を自分で育て直して、自分の心位は自分一人でちゃんと抱えられるようにならなきゃいけません。そしてちゃんと寿命を全うして、あの世でその子を「貴方の為に生き方まで変えてくれた大事なパートナーを置いていったりしてこの馬鹿!」と叱り飛ばせる私に、絶対ならなきゃいけません。

 それが、その子が私にくれたものです。Sちゃん、大好きだよ。

 

2015年を振り返ると

 1月に「こゆひろサロン」(LGBTs・セクシャルマイノリティ支援のFacebook上のコミュニティ)に入会しており、12月の頭に退会しました。一年弱の短い期間でしたが、とても濃密で色んな事があり、短いようで長かったし、長いようであっという間でもありました。見るべき程のことは見つ、という心境で退会しましたが、繋がっていたいと思う方々とは、サロン抜きでも既に繋がっていますし、サロン以外の活動もそこで色々知ることが出来ました。サロンと出会ったことで、確実に私の世界は広がりましたし、価値観も、考え方も、そして繋がっている人達も、広く多様になったと思います。

 最終的には、こゆひろさん達の運営方針・活動指針と私自身の感覚がどんどん合わなくなっていって、退会を決意することにはなりましたが、サロンと出会えたこと、そこで沢山の出来事を経験でき、大事な人達と繋がれたことについては、本当に心からそういう場所があってくれて良かったと感謝しています。

 セクシャリティについて、自認がはっきりし、誰に対しても何も臆することなくそれを自分の言葉で語れ、そしてそのことについて誰に何を言われても痛くも痒くもない、という状態になれたことは、本当に幸運でした。気がつかなかった間は、自分がこれほど我慢し、これ程辛かったのだということを知らずにいましたが、いざそこが解放されてみて、私はこんなにも我慢していたのか、こんなにも辛かったのか、こんなにもいやだったのかと言うことが沢山あって、何故私はこんな無駄な我慢をしてきたのだろうと歯がゆくも思うと同時に、逆に、経験してきた全ては無駄ではなかったのだな、とも思いました。

 一瞬でしたけれど、一週間位ピタっと過食衝動と頭痛が止まった時がありました。その時は、完全に思考が「自分ができること、やれること」にフォーカスしており、ネガティブなことに一切意識が向いていなかったので、若干躁転に近かった所はあって今は完全にリバウンドしていますけれど、あの状態になれた、というのが励みでもあります。その時に「今までやってきたことは、この為にあったんだ。これをする為に私の数多の遠回りはあったのだ」ともの凄く強く感じることができ、ですからその一瞬の魔法が解けてしまった今でも、辛い事も多かった過去ではありますが、無駄だったとも、消しゴムで全部消してしまいたいとも思わなくなりました。

 ともあれ、私を幸せにしてくれたり、赦してくれたり、生かしてくれたり、今までずっとこんな私を見捨てず寄り添って来てくれた人達だけでなく、新たに別のアングルから、そういう素晴らしい人達に出会えたことが、何よりも一番大きな事です。何も出来ない、特別な何かなんか何も持っていない私ですが、そういう人達だけは、誇れる宝物だと思っています。

 

2016年はせめてもう少し前進したい

 2015年に出会った人達は、とても刺激的でもあり、また今までになかった考え方をもたらしてくれる人達でもありました。そうした出会いの中で、私は一つ、とても大きな方向転換を選ぶことにしました。

 働く、ということについて、私は長きに渡り身過ぎ世過ぎと割り切って生きてきました。一番好きなことを仕事にしたら、食わんが為に自分の好きなことを嫌いにならなければ行けなくなってしまうかも知れない、それは嫌だ。でも私は基本的に嫌いなことを長く続けられる性分ではない。だったら2番目に好きなことを仕事にしよう、という姿勢で、「仕事」という物と向き合ってきていたと思います。

 結果選んだのがITだった訳ですが、IT業界はもの凄く流れが速く、常に追い立てられるように新しいことに挑戦していかなければなりません。ですが、私の躰はそれに耐えられる程丈夫ではありませんでした。鬱を患ったのもそうですが、元々片頭痛持ちで、胃腸が弱く、何かあるとすぐ躰に症状が現れるのを、病院へ行って薬を貰っているから大丈夫、と無理に無理を重ね、本来躰からのSOSである「痛み」を無視するようにして何年も働いてきました。

 その無理のツケが来てしまったのが2013年で、生活は大幅に破綻し、心身の状態も最悪に陥り、そんな最中に癌を患ったりしたこともあり、2013年7月末日以来私は定職に就いていません。その間の生活は、この歳になって恥ずかしいですし心底情けないですが、親の世話になっています。去年の暮れからバイトは始めましたが、私自身にかかる医療費などを鑑みるだに焼け石への水にすらならないような状態です。しかも障害年金が下りる程の症状でもないので、収入の宛は殆どないのが現状です。

 週に二回のカウンセリング、月一での通院が内科と頭痛外来、三ヶ月に一度の腫瘍マーカー、という通院スケジュールに加え、冗談でも物の喩えでもなく、物理的に私が生きることを助けてくれた歌、歌うことを取り上げられたら、多分私は相当悪い方へ転がっていってしまうと思われる、その歌のレッスンが週に二本、これだけは光熱費と同じような私のライフラインです。これだけでも都心の家賃分位の額がすっ飛んでいきます。

 それを自力で賄えるようになる為に医療事務の資格を取り、何とかスケジュールを詰めて詰めて、出来るだけ働ける日を作って、その日に合ったシフトで働けないかどうか仕事を探してみたこともありました。しかしこちらの都合の良いようにはいかず、中々合うような求人もなく、面接までこぎ着けても落とされるという事を繰り返しては、働けない自分が情けなくて自分を責めて精神状態を悪化させ、悪循環に陥っていた時に、サロンで出会ったある人に、「好きなことを仕事にしたらいいじゃない」と軽やかに言われたのです。その時は、そんなこと出来る訳ないよ、と笑い飛ばして気にも止めなかったのですが、もう一度その人に会ってそのことについて話をした時に、「あれ?これって無駄な思いこみ?やれるんじゃない?」という手応えを微かに感じました。それは本当に細い糸で、頑張ってよらなければすぐに切れてしまいそうな頼りない物でしたが、「大丈夫、やれる」と後押しをしてくれる人達がいてくれました。

 ですので、私は長年付き合ってきた「2番目に好きなことをたつきの道として、それで稼いだお金を好きなことに使う」という、いわば消費一辺倒の循環しない価値観とは手を切ることにしました。その為に2015年に、ほんの少し踏み出した一歩があります。それを今年はもっとはっきり形にして前進させようと思います。ただ、「ねばならない」とか「こうあるべきだ」という思いこみからも、私はさよならしないといけないので、「一刻も早くそうしなきゃ」という気持ちはありますが、「しなければ」ではなく、ごく自然にそうできるように流れていけたら、というのが理想です。まぁ物事はそう簡単にはいきませんし、世の中そうそう甘くもありませんが、昨年広がった世界の中に、少しずつですが自分の居場所を見つけて来られましたので、それをもう少し力を込めて自力で広げれば、落ち着くべき場所へ全ては収まるだろう、という気が今はしています。何事もなるようにしかならないですから。

 

こんな「私」です

 長々色々書きましたが、要は「私」に起こった変化について、そして「私」の今について、というお話で、本当に私の話は「自分語り」ばっかりなんですけれど、これが、身の丈の私です。FBでもtwitterでも、一番使用頻度の高い言葉は「アタシ」、自分自分自分とそればっかりしかない、我が強くて自分勝手で、甘やかされてスポイルされた、コレクターで知識や物だけは無駄に溜め込んで抱え込んで、でもそれを何の役に立てることも出来ない、広く浅くの薄っぺらい人間、それが私です。

 それと同様、歌ってさえいれば幸せで、歌に対してだけは絶対に嘘をつかず、常に頭を垂れて真摯でいたいのも、猫を溺愛して自分の飼い猫は世界一幸せにすると思っているのも、大好きな友達達に生かして貰っている分、自分に出来ることなら可能な限り還していきたいし、精一杯の愛情を捧げているのも、全部同じ私です。

 そして今、「複合マイノリティ」という生き辛さを抱えながら、何とかそれと共に生きていこうとしています。

 そういう私と、それと知って、それでもいいや、ともしもこの先も付き合って頂けるのでしたら幸いです。

 

 年も明けました。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。