浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

最初のご挨拶とご説明

このブログについて

 年も明けて新たな事を何かしようと思って、ブログでも始めてみる事にしました。


 タイトルに特に深い意味はありません。昔やっていたテキストサイトがこの名前でしたのでそのまま流用しました。がっつり文系の人間なので、物理化学的意味ではなく、人と人との関係や自分の心の中の動き方を思って名づけたような記憶はあります。

 どんな決まったテーマを書くという宛があるわけでもないのですが、趣味というか、興味の対象が比較的多く、何かにハマっている時は煩い位にそのことを語りたがるのでそういった事や、そうしたマイブーム的興味の対象が数年毎に変わったりする飽きっぽさもあって、もうブームのピークは過ぎ去ってしまったけれどそれでもまだ何となく気になる事、多すぎてローテーションにはなるけれどずっと好きでい続けている事、そして自分でもよく分からない自分自身の事、そんなことを何となく書いていこうかと思っています。

 

私について

 大雑把のO型で執念深く独占欲の強い蠍座の女、そして基本的には自己紹介に書いた通り、広く浅く&飽きっぽい人間です。

 ただ、これだけは自分でも「ちょっと過剰かも知れない」と思うのが、何かにハマった時の集中力。一気呵成にが~~~~っともの凄い勢いでその対象にのめり込み、一気に色々吸収するので、瞬間的にはその対象のオタクに近い位にまでなるようなこともあります。

 但しやっぱり飽きっぽいので、見るべき程の事は見つ、と思えばすいっと興味の対象が移り変わってしまう事もままあります。波は細かい事もあれば年単位の事もありそれぞれ色々です。

 それと似たような現象として、「食べ物パラノ」と自分では命名しているのですが、食材でもハマると一日三食同じ物ばかりを一ヶ月続けても苦にならない、みたいなことも偶にしでかします。ちなみに今の流行りは「火の通った林檎」です。二日に一回は鍋に一杯林檎のプレザーブとか作ってますね。林檎の前の流行りはイカの唐揚げ、その前はミディアムレアのステーキでした。理由とか、何が来るとかはホントに本人にも全く分かりません。。あ、でも単純にこれはもの凄く好きなので、八朔の季節になると八朔三昧の波は普通に来る筈です。

 持病のせいもあって、極端に躰を動かさない人間の為反動なのか、スポーツの類は割と何でも見るのは好きです。飽きっぽい私にして、ローテーション気味になることもありつつ、けれどずっと好きなのは西武ライオンズ及びパリーグ。高校野球は見ません。サッカーはヨーロッパ式、ウィングの機能するサッカーが好きです。スペインリーグが一時期凄く好きでした。2002年W杯の準決勝の時のブラジル対トルコの前半戦、あの時のトルコのサッカーみたいなプレイが凄く好き。空手やボクシングや格闘技も凄く好きだった時期があって、あと変わった所だとスヌーカー。J-SPORTSでプレミアスヌーカーリーグを放映してくれていた時期が何年かあって、その間は夢中で見てました。残念ながら放映がなくなって久しいのですが、今でも当時の録画は偶に見返したりします。

 逆に余り興味のないスポーツは、アメフトとゴルフとマラソンとか陸上でしょうか。あと、過去にもの凄くハマったのだけれど、偉大な選手を見てしまったが故に何か見終わった気分になってその後興味が失せるということも結構ある気がします。テニスはマルチナ・ナブラチロワが一線を退いてから殆ど見なくなりましたし、ボクシングも、リカルド・ロペスの引退からこっち殆ど見てません。フィギュアは男子のペトレンコやアイスダンスのマイヤ・ウーソワ辺りがプロに流れた頃から見なくなってます。

 このように飽きっぽい私ですが、既に趣味を越えて絶対にこれだけは生活に欠かせない物がまず歌、これは自分自身が歌うという意味で、です。週に一回、普通のボイストレーニングベルカント唱法のレッスンをそれぞれ受けてます。ベルカントの方はまだ何年単位ですが、普通のボイストレーニングは受け始めてもうぼちぼち20年弱。メタルからオペラまで何でも歌いますが、多分根っこにあるのは歌謡曲ですね。なので音楽も勿論常に身近にあります。それから映画。昔程極端な量は見なくなりましたが、13日の金曜日になるとホラー映画を引っ張り出してくるのは年間の中の結構な楽しみです。

 そして、私を私としてあらしめてくれているのが、大事な大事な友人達と、それから愛する家族である猫達。生まれた時から猫がいない生活をした事がないので、一人暮らしをしていても実質本当に孤独になった事はありません。だから真の孤独にはきっと弱いだろうなと思います。友人達は、人見知りだったり、人に甘える事が余り上手でなかったり、そして時にもの凄く人として偏っている私自身を、赦して見守ってくれるかけがえのない人達です。

 

 個々の流行りだの廃りだのについてはおいおいそれぞれをまた語るでしょうが、ざっくりと、こんな人間がこれからこんなつらつらした話を書いていってみます、というご挨拶でした。