浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

拘る所と杜撰な所

 占いを信じる訳ではないですが

 血液型とか星座とか、統計と思えばある程度納得のいく部分と、都合の良い所は拾っておけば良いという適当加減で、そんなことを偶さか口にします。

 ここでも早々に自己紹介で「大雑把のO型、執念深い蠍座」などと言っていますけれど、O型というと割と「大体に於いて大雑把なのに拘る所には無駄に拘る」なんて言われるようです。早速都合良くそれを使わせて貰うとして、やっぱり私は大抵の事は大体杜撰で大雑把なのですが、変な所に拘り始めるともの凄く拘る質のようです。

 例えば漢字表記。昨今手書きで物を書く事がなくなったので、すっかり「読めるけど漢字書けない」人に成り下がってはいますが、賢いATOKはちゃんと小難しい漢字もさらりと変換してくれるので、手書きでは書けるかどうか怪しいような字まで無駄に漢字にしてしまったり、なんてことはままあるかと思います。私の場合も正にそうなのですが、これを漢字にするしない、という点には結構無駄な拘りがあります。「とにかく」は「兎に角」とつい変換してしまいますし、「わざわざ」なんて言うのは本当に文字通り態々、敢えて「態々」と表記したがります。

 そうかと思うと案外誤字脱字には杜撰で、「以外」と書くつもりで「意外」と変換したままスルーしてしまったりして間違いっぱなし、なんていうこともままあります。余分に「兎に角」なんかを漢字にする前に、要らん誤字脱字を直せよというツッコミが聞こえてくるようですが、その辺が大雑把のO型という辺りで一つ手を打って下さい。

 

拘りというより偏りかも知れません

 四角い部屋を丸く掃いてもなんら痛痒を覚えないですが、本棚の中身はきっちり自分で決めたルールに則っていなかったらいやだったり、ハードディスクのバックアップの取り方は意外と乱暴というかざっくりなのに、音楽ファイルのディレクトリ構成だけはやたら秩序だっているとか、そんな所も拘りと杜撰は散見されますが、一番「一見ざっくりなのに実はもの凄く拘っている」所は、娯楽分野の中に一番強く表れているような気がします。これはもう、拘りというより、偏りのような気もします。

 映画にせよ、本にせよ、音楽にせよ、マンガにせよ、スポーツ鑑賞にせよ、いずれも割とジャンルの選り好みはしない方だと思います。勿論それぞれに苦手なジャンルというのもある訳ですけれど、一人の人間が好きで摂取するものとしては、一見幅広いように見えなくもありません。映画であれば、アクションもホラーもドラマもサスペンスもコメディも、音楽であればメタルもクラシックもJpopもビジュアル系も演歌も歌謡曲もエスニックもアンビエントも、皆同じように摂取はしているんですが、その幅広いジャンルの中での選り好みがもの凄く激しいです。

 オペラは大好きだけれどイタリアオペラ専門だったり、クラシックは聴くけれどフランス物は全てスルーだったり、ホラー映画は大好きだけれどイーライ・ロスはノーサンキューだったり、メタルを聴くと言ってもLAメタルや産業メタルはそんなに聴こうと思わなかったり、インスト音楽も普通に聴くけれど、モダンジャズとフュージョンだけはどうしても何を聴いて良いのか判らなくなってしまったり、これは完全に拘りというよりは偏りでしょうね。

 本人は好きなものはひたすら好きで好きで愛でていて、そこまでアンテナに引っかからない物はスルーしているだけの事なのですが、傍目に見ると偶さか奇妙に思われることもあるようです。例えば、映画好きっていうと映画ファンの方には怒られそうな程、所謂名作と言われるような映画はあんまりというか殆ど見ていないとか、なんかどこか捻れというか偏りを感じられることもあるようで。

 ジャンルというまとまりは恐らく私にとって、自分内で決められている琴線エリアというかマイカテゴライズがあって、それが必ずしも一般的、公共的なものと重なるとも限らない、ということなんだと思います。バックアップはざっくりでも、部屋の四隅に猫の毛がたまっていても、それは私の不快や嫌いには当たらないのかなと。なので、きっちりきっちりなさっている方なんかは、多分私を見て苛々するのだろうなぁとも思います。例えば、A型の方なんかは。

杜撰でも生きていられています、今の所

 私の杜撰の最たる所は、己のジェンダーというかセクシャリティの捉え方かもしれません。余りさらりと手短にまとめられる話題でもないので、折に触れまた書くと思いますが、私は性別は女ですし、何かしらの明確なジェンダートラブルを抱えているとも言い切れないのですが、余り殿方の事を好きではありません。過去に彼氏がいたことがないわけではないので、ヘテロであろうとすればあれるのだとは思いますが、面倒なのでそれをしたくないのです。

 物心ついた時から身の回りに父親、兄弟含め全く男性がいない中で育ち、中学高校と女子校で育ってしまったので、最早日常生活圏内に男性がいると心身共に寛げない状態なので、そういう人間が無理をしてヘテロをやっても面倒なだけなんですね。だからといって過剰に女性に対して肉欲を感じるかと言われると、確かに女の子は好きですし、一般的に女性が綺麗だったり可愛い女性だったりに憧れたり好意を持つ以上には、濃い、もしくは熱い感情はあるような気もしますが、それが肉体関係に及ぶまでに高じるかというと、そういう訳でもありません。ただ、それをして「もう寝た、まだ寝てない」の差分でしかないとしたら、私はレズビアンと言っても差し支えないのかもしれません。但しそれは、生来のものではないことになります。バイセクシャルと名乗るのは、これはまったく私の気分の問題ですが、なんとなくどちらの性的志向の方にもなんだか失礼なような気がして、そういう言い方はした事がありません。

 今の所私はそういう己のセクシャリティを、そのままぼんやりさせたままで過ごしています。若い頃には色々チャレンジやら苦手の克服やらといった肩肘の張った事をしてみたこともあるのですが、ある程度の年齢まで来て今更もうそんなことを態々しようという必要性を余り感じないので。特に結婚がしたい訳でも子供が欲しい訳でもありませんし、誰かに何か尋かれたら都度都度相手の方が納得しやすい言い方でさらりと流してしまっています。それをきちんと固定化しなければいけないという強迫観念も最早ありませんし、こんなことをこんなに杜撰にしていても、別段生きていくのに私にとっての不都合はありません。

 きっちりきっちりしたい方には本当に、この杜撰っぷりは理解されづらいのかも知れません。そして恐らく世間や社会はどちらかというときっちりきっちりしているものの方を好むような気もします。ただ、マイノリティかもしれなくとも、それはそれで別に生きるに支障はないのだと、私自身はそうしてこのように曖昧に存在している次第です。