浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

大好きだったあの子

未練なのね

 酒よ、どうしてあの人を諦めたらいいの…とつい語ってしまいたくなるのは歌謡曲好きの性として。没後20年にもなれば出典を知らない方がいるかもなので念の為、美空ひばりさんの「悲しい酒」からの一くさりであります。

 そんな事は兎も角、私はもう随分前から年賀状を自分から出すという事をやめていて、辛うじて下さった方にだけ寒中見舞いでお返しをする程度です。それすらしない年もありますから、必然的にそんな私に態々年賀状を下さる方というのはもの凄く限られています。その中の一人に、私が12歳の頃から28歳の頃に至るまで、間途切れた時期もありましたが、ずっと関わっていた女の子がいます。28歳の時に私の方がキレて関係を切った間柄ですが、数年前からでしょうか、彼女が年賀状をくれるようになりました。

 旦那さんと三人のお子さんと、幸せそうに写っている彼女を見ると、ああ幸せで良かったなぁと安心する気持ちの他に、「あぁ、アタシこの子の事本気で好きだったんだな」という、胸を擦るような切なさも同時に感じます。正しく未練ですね。

 切れてしまう直前の何年かは、持てる力と時間のありったけをつぎ込んで彼女を助ける事に必死でしたから、無事に助かってくれて良かったという気持ちはもの凄く大きいです。あの時の私が今の私であったら、私は彼女をきっと少なくともあのような形では助けなかった、もっと自分に依存させてもっと自分の都合の良いように扱ったとも思うので、あの時はあれで良かったのだと思います。

 しかし、自覚の無かった恋というのは、後を引くもんです。

 

女の恋は上書き保存なんて言われますが

 私と彼女の関わり合いは、女子校の中でスタートしましたから、私はずっと彼女の「疑似彼氏」のような立場でした。中高一貫の女子校の中で、彼女以外の人にそういう風に目されることもままありましたから、私の中にはその当時でももう既に、ある意味男性的な側面があったのだと思います。それが何かは彼女達に尋ねなければ分かりませんが、私が私の頭で考えるに、感情一辺倒でない、論理的思考が出来るという点で、自分が宛にされていたような気はしますね。

 小学生の頃からかなり顕著にその萌芽があり、中学生の頃にはもういっぱしに私は「女性という性別」であることを辛くも思っていましたし、男性社会の中で肩肘をはらずには存在すらさせて貰えずに必死で働く母親の背中を見てもいましたから、「女性が辛いなら男の人に近くなればいいんじゃないか」と子供の足りない頭で考えたのでしょう。一時期私はかなり意図的に自分を男性的であらしめようとしていたことがあると思います。

 それをやっても自縄自縛で辛くなるだけだということは、早々に悟って無駄な努力はしなくなりましたが、その時に培われたものであったり生来のものであったり、いずれにせよ私の中には女性性一辺倒ではない、どこかしら女性性から一歩引いた視座が確かにあるような気はします。ある部分では私は殊更に女性性過多だと思うのですが、そういう真逆の視座をも装備してしまっている事から、自分自身を両の視座から見てどちらからも好きになれない、「どうもコイツはいけ好かない」と思ってしまうような、これまた自縄自縛に陥る原因ともなっております。

 いずれにせよ、ちょっとばかり持っている男性っぽさが故か、彼女へ持っていた気持ちを私は上書きしてしまう事が出来ずに今まで来ています。これが男性相手の時だったら容赦なく上書き保存してきているのにも関わらず、です。ですから翻って考えるに、私は私の中の男性的な部分で彼女を好きだったのでしょうね。

 

無自覚でも恋は恋

 私が彼女に執着してやまなかった理由は、彼女がただ専一に私の事を慕ってくれた上に、もの凄く受容性の高い人で、私の過剰な部分や、激しい部分を難無く受け容れてくれた所が大きかったと思います。まるで自分の意思が無いとでもいうかのように、彼女は容易に私の色に染まりました。その上根っこに天の邪鬼さがあって、それがままならなかった為に余計に執着を募らせた部分もあります。

 ただ、その受容性の高さはともすると彼女の心身を非常に危ない状態に陥れる為、そんなんじゃいつ何時傷付くか分からない、というか今既にあなたの心は第三者に殺されかかってるのにそれをすら受け容れる気か、と、私の方が危機感を募らせてしまい、そういう彼女に必死に自分の意思を表明できるようになって貰おうともしました。私の物にしておきたかったのならそんなことしなければ良かったのに、と今は皮肉っぽく当時の自分に思います。

 その時は彼女への気持ちが、執着でこそあれ、恋に類する物だなどという自覚が私にはなかったのです。好きな男性もいないではなかったので、自分はヘテロセクシャルだと何の疑いもなく思っていましたし、その時点では確かに私は生来のゲイセクシャルとは言い難かったと思います。けれど、どっちがどうだとかもう面倒だからその辺は適当でいいや、思いたい人が思いたいように思えばいいじゃないか、とその辺りの事情に大分緩くなった昨今の私からしたら、あれが恋であってなにがいけないことがあったんだろう、寧ろ「あれこそ恋ですわ」とシスターマーマになって言いたいような思いです。(ヅカネタですみません) 事実彼女に覚えた程の執着や独占欲を、私は他の誰かに発揮した事は恐らく一度もありません。他人の前で声を上げてあんなにまで大泣きした事もありません。

 長い付き合いだった、しかも一番多感な、児童の尻尾をくっつけたままの12歳から6年間を同じ学舎の中で濃密に過ごし、そこから28歳に至るまで本当に色々あった関係ですから、思いが濃くなりすぎてしまうのは仕方ないでしょう。けれどそれだけではなく、私の心が未だに晴れないのは、あの時に自分が恋であると認められていたら、というたらればを捨てられないからです。嗚呼、正しく未練。どっちにしろ、私は彼女を失いましたし、それは自覚があろうと無かろうと同様だったと思いますが、だとしたら、せめて彼女を助ける事が出来て、少なくとも今の彼女が幸せそうで、よかった、という風には思います。

 

 それにしても、こういう年賀状の返事になんて書いたらいいもんでしょうかね。毎年困ります。