浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

「歌に守られている」

先日カウンセリングの予診が終わりました

 予診、というのは、まず現在の状態を、来し方含めお話しして、どのような治療方針が考えられるか、今現在の状態に心理療法精神分析が役に立つのか、そうした見極めをする為の物です。カウンセリングのお約束というのは、週に一度決まった時間にS先生のオフィスをお尋ねするという事になっており、その時間に私の都合が付かなくても、先生のご予定を空けて頂いている訳ですから、その分の料金は発生します。今の所一度もお休みしたことはありません。

 かつて重度の鬱で完全な引きこもりになった事もあるので尚のこと思うのですが、習い事にしてもそうなんですけれど、きちんきちんと同じ時間同じ場所へ行く癖を躰からまるっきり抜いてしまうと、社会復帰するのがその分大変になります。カウンセリングにせよ、習い事にせよ、毎週同じ曜日の同じ時間に出かけて行っている訳なので、こちら都合でどうとでもなってしまう予定よりも、遙かに「社会生活を営む」為には有用だと思います。

 若干話は逸れましたが、当初この予診というのは一ヶ月位、つまり4回位を想定されていました。そのようにS先生からお話を頂いていたのですが、いかんせん、私は話が長いです。このブログの1エントリーの長さ、くどくどしさをご覧頂ければお分かりの通り、不足が合ってはいけない、誤解があってはいけないという保険をかけまくるというか言い訳をしまくるが故に、普通に口頭でも私の話は長いです。そして基本オチは余りありません。笑われることは合っても笑わせることは出来ない、基本話の面白くない奴です。

 そのような次第で、しかも41年、ついこの間42年になりましたけれども、それだけの年月分を、その間に生じた大きなトラブル、心の葛藤を全て明文化して開陳するとなるととても4回では収まりきれず、結果12回だか13回だかその位、つまり想定の3倍以上かかってしまった事になります。

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宝塚風?いいえ、違います

生活の99.7%はすっぴんです

 私は普段お化粧をしません。昔一時期外国製の強い鎮痛剤のせいで、吹き出物が絶えなかった時に皮膚科のお医者様に、ファンデーションを塗る化粧を禁止された事もありましたし、なにより基本が面倒くさがりなので、ちょっと外に出る位の用事ではまず化粧はしません。

 会社に行っていた時も同様で、例えば取引先との打ち合わせがあるとか、そういう時だけは辛うじて、口紅とマスカラだけはしましたが、勿論そういう時だってファンデーションはなし、すっぴんに本当に口紅とマスカラをしただけで、流石にこれをアメリカンメイクと言ったら、いかなアメリカ人にですら怒られるだろうという有様でした。

※ヨーロッパ、特にフランスの方はメイクにとても時間をかけ、丁寧に作り込まれるので、ファンデに口紅&マスカラ程度のことでも済ませてしまうアメリカ人のお化粧を、アメリカンメイクと言って割と小馬鹿にする傾向があります。というかありました。今はどうだかしりません。

 派遣で働いているような時、時期的には「自分変革キャンペーン中」的な時の自分は、会社にも化粧をして行っていましたが、自分的にはとても「きちんと」というにはほど遠かったと思います。

 何故なら、私が本当にしっかり「今日はちゃんと化粧をする」ということになると、大変に時間がかかってしまうので、朝出勤前にとてもそんなことはしていられないので、一応フルメイク、でも自分的には手抜き版、という感じでした。

 IT系のお仕事をするようになってからは、そういう所謂今で言う所の「女子力」などを会社から求められることが殆どなくなりましたし、洋服ですらTシャツ&デニムでOKになったので、すっかりその頃からはもう、気ままで楽な格好&すっぴんが基本になりました。

 ですから去年の7月にやめた現場で「ビジネスカジュアル」と言われた時、見合った手持ちの洋服がなくて結構苦労しました。

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家族写真

11月2日は誕生日でした

 身近な人には良く言っている事ですが、私にとって、殊更に今の私にとっては尚のこと、誕生日とは「祝って貰う日」というよりは、一年間生かして下さってありがとうございます、と周囲の人達に「感謝をする日」であります。

 それまでも碌な生き方はしてきていませんでしたけれど、昨年7月、余りにも体調が悪くなりすぎて欠勤が増え、現場や同僚に迷惑をかける心苦しさから仕事を辞めさせて貰い、そこから経済的には親に援助して貰う形で療養生活という名の先の見えない「無職ヒキヒート状態」がスタートしています。

 その時の「体調不良」は片頭痛の異様な悪化でした。例年でしたらここまで激烈ではないという頭痛に連日、毎週襲われ、仕事を辞める直前などは、仕事に行かなければというプレッシャーと、薬の効かない痛みと、月に20錠しか出ない片頭痛専門薬の残り錠数との戦いと、いつ何どきどこで発症するか、極期にどこでいきなり吐くかという不安や恐怖と、諸々重なって殆ど錯乱寸前だったと思います。

 そんな事情で仕事を辞めて、慶應の頭痛外来の鈴木先生の所へ7年ぶりにまたお世話になる事になった訳ですが、慢性化して、しかも片頭痛の中でも最も難治性の薬害性頭痛に恐らく足を踏み入れていた筈で、それが一朝一夕に軽くなる訳もありません。正しく読んで字の如く「先は見えない」状態だった訳です。

 体調が悪ければ精神にも勿論影響します。就業出来ない焦りやままならない躰への苛立ちと、それを自分の力でどうすることも出来ない無力感で、その時分の私からは相当ネガティブな空気がダダ洩れていたと思います。

 かつての親友だった人は、そういう私を見ていて、心配な気持ちも、でも全部をケア仕切れない自分も、そしてネガティブな方に引きずられる事も、全てが嫌だったと言っていましたから、周りの人には本当に迷惑だったと思います。というか、今でも迷惑だろうなと思っています。

 ですから尚のこと、こんな私に「生きていて良いよ」と言って下さる方がいる、生かそうとして下さる方がいる、というのは、今の私にとって本当に有り難いことです。産まれてきてしまった以上生きなければならないので、例えそれが望まなかった生育環境であれ、理不尽や苦痛を押しつけられる日々であれ、乗り越えるなり恭順するなり兎に角それに適応して生きていくしかないですよね。そこで辛い苦しいの類を言っても仕方ないのでしょうが、どうしても堪えられない物が溢れだしてしまっているでしょうし、だからこそ、歌という叫び、祈り、解放する手だてを持っていなかったら、普通に私は生きていないか、発狂するかしていたと思います。

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一ヶ月遅れのヅカ落ち一周年記念

随分ひさしぶりの更新になってしまいました

 日々の細かい事はtwitterで呟いてしまっていて、それをmixiのつぶやきと連動しているのと、それでもちょっとした長いことを書きたかったら、twitterで複数エントリー使って書いて、mixiの日記にそれにちょっと色を付けて書く、なんていうことをしていると、必然的にここって「何かしっかり頭を使って考えたりしたりしたこと」もしくは「ご報告するような何か大きな事柄があった時」に書く、って何となく自分で無意識に縛りをかけていたようです。

 アクセス解析をこの間久しぶりに見てみたんですけど、日々のアクセスなんて微々たるものですし、大体内輪だろうなっていう感じで、それ以外のお客様は70%がYahoo検索からいらしてます。Google率と比べると圧倒的にYahooからが多いので、ググるという言葉まであるのに、そりゃ諸外国の方々に「日本はYahooが大好きだねぇ」などと言われる訳だ、と我が事として実感しました。

 でもって、その70%という大勢を占める方々がどのエントリーを一番読んでいらっしゃるのかというと、ちょっと前まで東小雪さんのお名前を出したエントリーが断トツだったのですが、今はなんと、リカルド・ロペスについて、何を考えることもなくただ愛を炸裂させた、あのエントリーが一番上です。後は宝塚関係ですかね。ちえの退団も発表されましたし。

 まぁそんなこんなで、何もそんなに難しく考えなくても、内輪以外の方々が何を面白いと思って下さるかなんて全然わからないんだし、ある程度の硬さがなくても好きなことを書けばいいじゃない、とようやく肩の力が抜けました。

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歌うことはできるけれど

「君は歌うことが出来る」という

 さだまさしさんの曲を、さださんファンだった友人から「いいよ~」とお勧めされたのでYouTubeで観てみました。


「君は歌うことが出来る」(MV フルサイズ) - YouTube

<歌詞:http://j-lyric.net/artist/a0004ab/l032b75.html

協力してる人達もそうそうたるメンバーで、うん、確かにこの映像にこの歌は相応しいな、この歌にこの映像は相応しいな、という風に思いました。

 長年さだまさしさんのファンをやっている友達を持っていて言うのも憚られるのですが、私は余りさだまさしさんを好きではありません。偶に「あ、いいな」と思う曲もあるのですが、根本的に説教臭い&男尊女卑っぽいところがあることと、言葉の使い方のセンスが私の好きな方向性ではない点が、総体的に見ると「余り好きではない」という評価になってしまう次第です。後、思想的なものを含む歌を歌っている割に、右に行ったり左に行ったりでブレが激しいというのも、私の中で「歌うたいとして好きな部類か」と問えば否となってしまう所以です。

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人生初カウンセリング

大分間が空いちゃいました

 書きたいことがなかった訳ではないのですが、気温の上下動に伴う体調の加減が余り上手くなくて、きっちりかっちり頭を使ってクリアに何事かを明文化する、というのに余り適した状態ではなかったので、無理に書くこともないかな、と思って少し頭を休憩させてました。

 それにしても、大概身内しか見ていないブログだと思っていたのですが、エントリーの一つに東小雪さんのお名前と著書名を記したことがあって、ですから彼女に何か動きがある度に凄くアクセス数が増えるんですよね。このブログの約2割程度は彼女関係のアクセスです。

 更には遂に退団発表となったちえ(柚希礼音)の名前も書いてある箇所があるのでそれでも偶に伸びます。どれもこれも大して面白い事が書いてある訳でもないのに、ヒットして来ちゃった方には申し訳ないなぁと思いつつ、相変わらず「主に内輪向け」的な文章をこうして書いている訳ですが。

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御巣鷹へ向けて黙祷

甲子園のサイレンを聞くと

 平沢進の超名曲「サイレン」と共に、あぁ、日航機墜落事故の季節だ、と思います。何故ならその時私は小学生で、山梨の母の実家で甲子園を見ながら、臨時ニュースや速報のテロップを見た記憶があるからです。子供でしたから、飛行機が墜落したんだ、ということと、生存者がいたんだ、ということしか認識できていなかったと思いますが、ヘリで川上慶子さんが救助される映像は、子供心にも強烈でした。そして救助された後川上慶子さんが、病院へ運ばれて手当を受けた後、何度かマスコミのインタビューに答える姿を見て、まず美形と言って差し支えないであろう彼女の容姿と、何かに取り憑かれたような目力の強い印象が残りました。

 8月12日になると、大体例年mixiの日記であったりtwitterであったりで、何かコメントをしていると思います。遺族でもない私が何故こんなにはっきりと日付を覚えていて、毎年毎年言及せずにいられないのかというと、川上慶子さんが救助された時、実は私と同い年であった、という事実に本当に最近(2004年とかその位)気がついて、もの凄く強烈にショックを受けたからです。

 あの時あのヘリのロープで救助の人に抱えられていたあの少女は、確かに「小学生位の女の子だ」とは認識していましたが、マスコミを通じてブラウン管で見るその人は子供心に余所事というか遠い出来事で、生々しくその時祖母の実家で甲子園を見ていた私と同い年だった、という認識が全くなかった為に、その事実に気づいた時酷く心が乱れました。何故かはわかりません。

 ただ、松谷みよ子さんの「私のアンネ・フランク」という本を思い出しました。松谷さんの代表作の一つでもある「ふたりのイーダ 直樹とゆう子の物語」の直樹とゆう子、そしてその母のその後のお話として書かれた本です。今現物が手元にないので、あの直樹とゆう子のお母さんの体験が、松谷さん自身の体験だったのかどうかは定かではないのですが、作中ジャーナリストであるお母さんが、自分がアンネ・フランクと実は同い年であった、という事実に気づいて愕然とする場面があります。昭和の事ですから、自分の生年月日は西暦よりもまだ元号での感覚の方が強かった時代だったと思いますし、なによりあれだけ世界中に「少女のままのアンネ」が知られている為に、今現在子供を二人産んで育てている自分自身と、重なり合わなくても無理はないと思います。ですからその事実に気づいた時にお母さんは酷く動揺します。恐らくそれと同じような感覚が私にも起こったのでしょう。

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