浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

「歌に守られている」

先日カウンセリングの予診が終わりました

 予診、というのは、まず現在の状態を、来し方含めお話しして、どのような治療方針が考えられるか、今現在の状態に心理療法精神分析が役に立つのか、そうした見極めをする為の物です。カウンセリングのお約束というのは、週に一度決まった時間にS先生のオフィスをお尋ねするという事になっており、その時間に私の都合が付かなくても、先生のご予定を空けて頂いている訳ですから、その分の料金は発生します。今の所一度もお休みしたことはありません。

 かつて重度の鬱で完全な引きこもりになった事もあるので尚のこと思うのですが、習い事にしてもそうなんですけれど、きちんきちんと同じ時間同じ場所へ行く癖を躰からまるっきり抜いてしまうと、社会復帰するのがその分大変になります。カウンセリングにせよ、習い事にせよ、毎週同じ曜日の同じ時間に出かけて行っている訳なので、こちら都合でどうとでもなってしまう予定よりも、遙かに「社会生活を営む」為には有用だと思います。

 若干話は逸れましたが、当初この予診というのは一ヶ月位、つまり4回位を想定されていました。そのようにS先生からお話を頂いていたのですが、いかんせん、私は話が長いです。このブログの1エントリーの長さ、くどくどしさをご覧頂ければお分かりの通り、不足が合ってはいけない、誤解があってはいけないという保険をかけまくるというか言い訳をしまくるが故に、普通に口頭でも私の話は長いです。そして基本オチは余りありません。笑われることは合っても笑わせることは出来ない、基本話の面白くない奴です。

 そのような次第で、しかも41年、ついこの間42年になりましたけれども、それだけの年月分を、その間に生じた大きなトラブル、心の葛藤を全て明文化して開陳するとなるととても4回では収まりきれず、結果12回だか13回だかその位、つまり想定の3倍以上かかってしまった事になります。

 

予診の結果、S先生のお見立て

 長くなればその分出費は嵩みますが、それだけかけて聞いて頂いて良かったと、結果的には思うことになりました。

 S先生のお見立ては実にすぱりと私の抱えている問題、その具象化のされ方を突いてきて、痛い所に刺さった物も相当ありましたが、痛かったということはつまり図星であったということでもあり、時間をかけた分だけ、S先生が正しく私の問題を理解してくれたのだな、というのが私自身にも伝わり、それをこれからどういう風にしていこう、という方向性の付けて下さり方も充分に納得の行くものでした。

 S先生の学問的バックグラウンド=ご専門は精神分析である、と説明を受けました。ですから精神分析心理療法という事になると思います。今時の精神分析の方でフロイトを丸呑みしてらっしゃる方もおられないでしょうから、フロイト先生には若干思う所のある私ですが、S先生の仰ることにはきちんと頷くことが出来ましたし、無理なくやっていけると感じる事もできました。

 今日、丁度S先生を紹介して下さったY先生の診察だったのですが、どうですか?と問われてやっと予診が終わり、お見立てを頂いて、私としてはこのままS先生を信頼して治療を続けていく方向で行きたい、とお話しすることが出来ました。

 Y先生は、鬱の症状に関する薬は行きつけのH先生に頂いている私に、心理療法が有効なのではないかという見立ての下にS先生を紹介して下さった方なので、S先生と私とがどうであるのか、駄目であれば他の人を捜さなければならない、というお立場でしたので、S先生とで大丈夫そうだということで、Y先生の診察は一旦終了という事になりました。

 もし某かS先生との間に問題が生じた場合はまたご相談することになる可能性はありますが、Y先生自体が来年の3月で異動なさってしまうそうで、そうするとまた話がややこしくはなりますが、今の所私の感触としては、S先生とで問題は恐らく起こらないだろうという感じです。

 

「セッション」という仰り方をなさいました

 今後のS先生との治療というか会合というかを、先生はそういう言い方で表現なさいました。なるほどなと一つ面白く思ったのですが、先生が私の無意識に触れる、私が触れられる、そこで生じる何か、というのは確かに「ああ、セッションだなぁ」と思います。私の方から積極的に何かを仕掛ける訳ではないですけれど、私の無意識は先生の仕掛けに反応を返す訳ですから、そこで某かの有機的な物は生じますよね。何となく、セッションと聞くと私の脳は歌や音楽と結びつけてしまうので、ちょっと面白いなと感じた次第です。

 そして、音楽繋がりで言うのであれば、先生のお見立てを伺っている最中に、まぁ今までの予診の中でも再三再四申しあげてきたことですが、「歌っていなかったら私は生きていなかった」ということをまた呟いた所、いともあっさり先生も肯定なさいました。一言一句再現すると「貴方のことですから、"ま、いっか"であっさり自死を選ばれた可能性は非常に高かったと思います」と。

 自分自身でも、猫の存在があってさえ危なかったと思っています。シャーリィ存命時分は大丈夫だったでしょうが、シャーリィとの余りの互いへの依存の高さに危険を感じてシャーリィの死後、娘達を二匹同時に引き取った時点で、これだけべったりなようでいてさえも、過去を踏まえた上である程度の距離を取っていますから、娘達の存在が自死の足枷にならなかった可能性は充分ありました。

 

ひさきちゃんは、歌に守られてるよね」

 仲良くさせて貰っている友達に、ゆうちゃん、という人がいます。ANTON STUDIOで、歌を通じて知り合った人です。ずっと吹奏楽クラリネットをやって来た人で、尚かつ5、6年前からピアノの弾き語りで歌を歌うようになり、「多恵結宇」の名でのんびりな私なんかから見るともの凄く定期的にきちんきちんとLiveをやっています。ちなみにカバーもしますけど、作詞作曲出来る人なので、オリジナル曲の方が多いです。

 楽器が出来て、作詞作曲が出来る人を、私はいつもとても羨ましいなぁと思います。自分の言葉で自分の思うようなメロディで、「自分の歌」を歌うことが出来て、尚かつ楽器が出来る=一人で弾き語りが出来る=Liveのブッキングがしやすい=歌う機会が作りやすい、という事でもありますから、常に「歌いたい」と思っている私にしたら、とてもその努力と、努力が出来るという才能が羨ましく思えます。

 ただ、勿論自分の言葉で自分の音で語ることは、とても苦しいことでもあることでしょうし、人の言葉人の音にのせていてさえダダ洩れてしまう情念に、私なんかは偶に吹雪師匠に「ぶち当たってくる物が辛いよ」って言われてしまう位ですから、それを自分でやって自分にすべて返ってくるとなったら、辛いことでもありましょう。

 更に言うなら、私でも一応作曲とか歌メロとか作ってみたことありますけど、これがまた笑っちゃうというか笑えない程クッソつまらなくて、マジでアタシこの系統のチャンネルないわ、と早々に諦めました。作詞だけは言葉ですから出来ますけど、曲先で歌詞だけ書けばいいなんてことはオリジナルのバンド位でしか有り得ませんし、バンドは中々あれで面倒ですから、今の私には少し荷が重いかなと思います。オリジナルのメタルを日本語で歌わせてくれるバンド、なんて今探してそうあるものじゃないでしょうしねぇ。

 そして何より、弾き語り、ということは何かをしながら歌うということで、「歌」そのものに没入して集中しきってしまいたい私には、やれない、というかやりたいとはちょっと思えません。

 そのゆうちゃんが、私に「ひさきちゃんは、歌に守られてるよね」と言ってくれました。自分はまだまだ、自分自身が歌っていていいのかとか、そういう迷いの中にいたりもするけれど、ひさきちゃんの場合は、歌がひさきちゃんを守ってくれてるよね、と。

 ゆうちゃんと出逢ってからさて5年か6年か、けれど長さじゃないですよね。20年付き合って親友とまで言い合っていた相手が理解してくれていなかったことを、ゆうちゃんは正しく判って、私以上に憤ってくれた訳ですから。

 ゆうちゃんは鬱とか過食とか拒食とか一生付き合わなければいけない持病とか、私と近い経験をしていることもあって、音楽のことだけでなくもの凄くストレートに話がしやすい、私にとってはとても大切で心安い存在です。

 そしてゆうちゃんの歌は昏さも明るさも軽さも重さも、同じように平等に心に置いて歌われていると思います。そういう歌をそのように歌う為に、どれだけの苦しい思いをこの人はしてきて、そして今まだしているのだろう、と時折思います。

 そういう友達に言って貰った「歌に守られている」という言葉が、どれだけ私の心を癒し、暖めてくれたことでしょう。ゆうちゃんにそう言って貰う資格のある歌を歌えているのかどうか私にはわかりませんが、少なくとも、その歌は最低限私一人の命は支えている訳です。私が生きていることで得をする人はいないかも知れませんが、私が自死を選んだら傷つける人達がいることはいかな私にでもわかります。ですから、最低限私の歌にはそれだけの力はあるのだ、ということにもなります。

 

「歌う」ことで出会えた人達

 こと歌うことに関しては、私は初手から本当に恵まれていると思います。最初に入ったスクール系のボーカルコースでも二人の先生に当たりましたが、本当にあのスクールの中ではレベルの高い先生に当たることが出来て、好き放題させて貰いましたし、何より吹雪師匠という、「歌」と言うことに真剣に向き合って悩んだ時や思う所があった時に、それをどういう意味かわかった上でお話して下さる得難い方と出会うことが出来ましたし、ベルカント唱法という、日本の音大では余りポピュラーではない発声法を、偶々飛び込んだ個人レッスンの先生が習得なさっていて教えて頂く事が出来る状態だったというのも有り得ないラッキーですし、なによりも、歌いたくとも歌う場のない私の為に、ご自身の時間と手間暇をかけて、機会を作って下さるANTON STUDIOのマスターには本当に足を向けて眠れません。一体私の歌の何を気に入って下さったのか未だに判らないのですが、少なくとも、「歌わせてやろう」と思って頂けた僥倖を本当に私は噛みしめています。

 こうやって並べていくだけでも、これだけの人達と「歌う」ことで繋がってこられているのですから、やっぱり私は「歌に守られている」と言えると思います。ゆうちゃんの一言は至極名言でした。

 

去年から今年にかけては随分お休みしちゃいました

 去年の7月一杯で余りの体調不良に仕事を辞めてから、今現在に至るまで、間に入退院がありましたから、レッスン自体も相当お休みしましたし、歌うことからどうしても離れていなければ行けない時間が、私にとっては多かったです。

 ただ、休んだら休んだなりに得られる物ってあるんですね。近頃、そういう事も考えるようになりました。出来ることを、出来る範囲で。当たり前のことですけれども、私は随分と甘やかされて生きてきたので、出来ること、出来る範囲がどんどん狭くなっていくのに、中々心や躰がついていききれない所もまだあったりします。ただ、焦って良いことは何もないので、地に足を付け、出来る限り自分のペースを無闇に崩してしまうことなく、先々を考えていけたらなと思っています。

 そしてお休みしちゃって久々の復活ですけど、今年最後の滑り込みで、ANTON STUDIOのヒアカムザナイトのブッキングに入れて頂きました!またマスターのご厚意に甘えて、トレイ・テン(ワタクシひさきとマスターとのユニット)活動再開します。余り不義理をしないよう、そして入れたボトルが古くならないうちに、コツコツとそちらもやっていけたらと思っています。何しろ、歌に守られている=歌っていないと至極無防備ということでも有り得ますので(笑)