浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

積み残しが山程

明けましておめでとうございますを

 皆様にお伝えする間もなく、一月の連休からこっちもの凄いバタバタ感でずっと来ておりまして、気づけば二月が一週間も過ぎてしまいました。流石にこれ以上「積んだ」状態にしておいても埒があかない上に鮮度も下がってしまいますので、積んでいたあれこれを一旦吐き出してしまおうということで、今これを書いています。個々にきちんとエントリーしたかった話題もあるのですが、目の前の事に追われていると、深く掘り下げて一つの事に向き合う時間が削られがちで、140文字でちゃちゃっと身辺報告が出来るtwitterで、ついつい済ませてしまいがちですが、きちんと考察した上で明文化することが必要な事も中にはありますので、余裕が出来た頃に、再度蒸し返すかも知れません。

 

一月は我が家の忌み月

 一月は例年私が大変に不安定になる時期です。10年前の1月23日に、私にとって特別だった猫、シャーリィを亡くしている為です。あの子は、まだ小さい頃に私が不用意にお汁粉を舐めさせてしまったせいで大変に甘党でして、和菓子を食べているとあんこだけ寄越せと要求する子でした。お正月のお節料理に入っている、栗きんとんのきんとんですとか、黒豆、伊達巻きなんかもとても好きで、ですからまずお節料理の準備段階で、どんなに母が「今年はお節は作らないからね」(と言いつつ毎年彼女は結局それっぽい物をちゃんと作ってしまうのですが)と言っても、「シャーリィの分があるから黒豆と栗きんとんと伊達巻きだけは、買ったのでもいいから用意して」と要求することになり、その時点でボディに一発重いのを喰らっています。元旦当日それをお骨の前にお供えする時点で、涙腺決壊寸前までヨレヨレになります。で、例年はそんな状態をいったりきたりしながら23日までを過ごすことになる訳ですが、今年は更なる凶事が起こってしまいました。

 まだ両親が大阪にいた時、というか行って殆どすぐ位だったと思いますが、歴としたアメリカンショートヘアで有りながら模様が全く毛色に出ず、売れ残って地下の駐車場で虐げられていた黒い猫を、その扱いに激怒した母が「なら私が買う!」と行って連れ帰り、てっちゃん曰く「ある日帰ったら家にいた」そうです。その黒い猫はカイル(昔私が一時期世話をしていて里子に出した拾いっ子に付けた名前の使い回しです)と名づけられ、東京と大阪に離れて暮らす私を過剰に心配しすぎて、けれどその心配や愛情を向ける矛先が無かった母の愛情を向ける先として、そして丁度物心つく頃に一ヶ月ほど、東京の家のリフォームの為に母が大阪を離れていた為、本来であれば余り動物に好かれるタイプの人ではないてっちゃんに、他に構って貰う人がいなかった為大層懐いてしまい、どんなに母が世話をしていてもどこかで妙にパパっ子に育ち、懐かれれば可愛いのが人情で、てっちゃんにとってもとても可愛い子として、二人に大事にされて育ちました。

 てっちゃんが大学持ちで研修制度の様な海外渡航を許された際、本来であればカイルはてっちゃんの実家に預け、行き先はオランダとなる筈だったのですが、てっちゃんの実家の猫への認識の甘さにてっちゃんが激怒し、だったらいっそ連れて行く、といって入管に関して生体の持ち込み、持ち帰りが大丈夫な国、オーストラリアに急遽行き先を変更した位大事にされ、そしてカイルもタフな子で、二人がいればお家はどこでも平気、というガッツで、オーストラリアに行って帰ってきて、その後も大阪から東京へと居を移し、先住猫(深海と真空です)が二匹もいる中でも、気にせず暮らせる鷹揚な男の子でした。

 そのカイルが、母の必死の介護と、てっちゃんと私のスクランブル体制での介護補助の甲斐なく、1月19日に身罷りました。ただ、私がシャーリィに死なれた時と違って、尽くせるだけの手を尽くし、最後は全員揃った中で心停止、我が家の畳の上での大往生、お骨にするのも私は立ち会えませんでしたが、カイルの時には三人で立ち合い、骨を拾って骨壺に収める事も出来、年齢から言えば15歳(人間なら74歳位です)、まず大往生と言っていい最後だったと思います。

 実は、てっちゃんにまた学校負担での海外研修の話が持ち上がっており、彼の年齢から言ってもこれがラストチャンスではという機会です。彼は当然海外で一人暮らしなど出来る人ではありませんから、そうなったら母も一緒に付いていくことになります。カイルはどうするんだとか、祖母の介護はどうするんだとか、母は悩んでいましたが、そこは私が請け負うから、お母さんの年齢的にももうそんな無茶が出来る最後だと思うし、てっちゃんの先の為にも絶対に行った方がいいとかなり強く私は勧めました。

 ですからカイルの具合が悪くなった時、咄嗟に私は「独逸行きはどうなるんだろう」と口に出してしまい、母はカイルがこの状態では自分が離れる訳にはいかない、心配で離れられる訳がない、と言いました。母が行けなければ必然的にてっちゃんも行けないと言うことになります。それが後々二人の禍根にならねば良いが…とその時思ったのですが、動物は、そういうものに敏感です。なんなんでしょうね、あいつら。シャーリィの時もそうでした。彼等には「その時」が多分判るのだと思います。私の友人は「ペットに限らず、人間様でも、何か今生の役目を果たした、若しくはいなくなることの波及効果で役目を果たす場合にこの世から退場するんだと思っている」と言ってくれましたが、本当にそのように感じました。母は「自分が独逸になんか行けないって言ったから、カイルは自分を行かせてくれようとして逝っちゃったのかな」と泣いていましたが、その母に、前述の友人の言葉と共に、これがみんなにとって一番良かったんだよ、カイルだってそう思ってたと思うよと伝えました。

 そんな訳で一月は、母にとっても、私にとっても、特別な子を亡くした辛い月となってしまいました。ただ、私と母では気性も、愛情の在り方も出し方も気持ちが揺れた時の堪え方も、全くかすることがない位違いすぎるので、彼女を慰める為に気持ちを寄り添わせようとしてもそのことでかえって彼女の地雷を踏み抜いてしまったり、そうである彼女が逆に今度は私の地雷を踏み抜いてしまったりするので、子供は中途半端な年齢で子供と言えるのかすら判らないという私しかいないあの夫婦にとっては、実の子同然であったであろうカイルのことですから、私が下手に関わらない方が母と私の両方の為だし、夫婦で乗り越えてくれとてっちゃんにまるっと投げてしまってあります。

 

家族として

 そのてっちゃんですが、彼と母が再婚したことで私はとても辛い思いをし、今でさえ苦しい人生にならざるを得ない部分もあるのですが、彼自身に対して、私は特に思う所も最早ありませんでした。ただ、このイレギュラーな家族を「我が家族」として余り親身に感じられなかったことも事実です。私と彼は、戸籍上私は彼の養女ではありますが、父親らしい事をされたこともありませんし、されたいと思ったこともありません。父親面などされたら逆に激怒したと思います。あくまでも母を間に介在させて成立していた関係で、直に彼と繋がっていると感じたことも余りありませんでした。

 東京に二人が帰ってきてから、一緒に住んだ時間は本当に、鬱で寝込んでいた私の身動きがとれるようになるまでの最低限で、すぐに私は家から程近いマンションに引っ越してしまいましたけれど、夕食だけは実家に食べに戻っていました。なにせ歩いて数分の、いわゆる「スープの冷めない距離」程度でしたから。そしてその「実家」にはカイルがいる訳です。

 大阪で暮らしていた時、二人は互いのことを「お父さん」「お母さん」と呼び合っていました。夫婦に子供が出来ると自然とそう移行するように、カイルを飼ってからそうなったのだと思います。そうなると、私の立場はさながら「カイルのお姉ちゃん」位置になるので、そのカイル目線に合わせると、私も母を「お母さん」、てっちゃんを「お父さん」と自然に呼べるようになりました。普段母とだけ会話する時はずっと「ママ」呼びでしたし、てっちゃんは特にそういう役割的名称で呼んだことはありませんでした。寧ろ二人が結婚した当初は、私にとっててっちゃんは「自分の学校の英語の先生」な訳で、家の中でも「先生」って言っちゃってましたから、あくまでカイル目線のロールプレイ的な呼び方であっても、私の口からてっちゃんを「お父さん」と呼んだことは、どうやら彼にとっては嬉しいことのようでした。

 で、ここにも書きましたが、「家族写真が欲しい」という要望も、また彼は喜んでくれたようです。早く撮ろうよ、と母に言っているのを私自身も目撃しましたので、あぁ、これで良かったんだなぁ、と思った矢先にカイルに死なれ、我が家の柱であった母が今ガタガタになってしまっています。それを支えられるのは、地雷を踏み抜く私よりも一緒にカイルを育てたてっちゃんであると私は思いますし、それは彼にも伝えてありますし、私は偶に実家に行って関係ない話でもしてくれればそれでいいよ、と彼も言ってくれています。ですから私は、嘘をついたまま彼と「家族」写真なんか撮っちゃ駄目だなと思い、母に彼と話す機会をくれるように頼みました。何を話したかったかといえば、自分自身のセクシャリティについてです。その時私には所属したいLGBT系のサークルがあり、ただそこで活動をすることは、セクシャルマイノリティである私と彼をひょっとして世間に知らしめてしまうかも知れない、そうなった時に一番社会的に迷惑を被るのは彼である、であるから、こんな自分でも家族として認めて貰えるのか、そして、そういう迷惑がかかるかも知れないことについて、判断を仰ぎたいと思った訳です。本当はカイルの件がある前にそれを母に伝えてあり、母経由で話を進めるべきだったのかも知れませんが、カイルの件で彼女がそれどころではなくなってしまったので、自分で機会を作り、彼と話をしました。つまり、世間で言う所の「カムアウト」と言う奴をした訳です。

 予め母に言っておいたので事前にちょいちょい小出しにそんなことは彼女も伝えてはあったようです。一応まるっと知らない、判らないと言われたときのために、セクシャルマイノリティについてであるとか、多様な性的指向についてであるとか、そういう事が書かれた本を二冊程持参して出向いたのですが、結論から言えば彼の反応は「別に何も問題ないんじゃない?」でした。そういう私であっても勿論家族であるし、そもそも自分は仮にも教育者なのだから、それが迷惑であるとか問題であるとか、そもそも言う立場にないし自分の生徒にもいる以上言える訳もない、だから迷惑だとかなんだとか、そういうことは全くないので、好きなようにするといい、と言ってくれました。

 母を支え、私の我が儘に付き合い、文句も言わずに財源となって働いてくれて、このはちゃめちゃな拗れきった母娘の間で、母のパートナーとしてずっと暮らしてきてくれて、今またこうやって私を自由にしてくれる彼が、家族でないなどとは最早私も思える道理がありません。

 20年近くかかりましたが、ここへ来てようやっと、この家が我が家で、この三人が家族なのだと、心の底から思える自分になりました。ですから、有り難くLGBT系のサークルには入らせて貰って、今普通にバッグにLUSHLGBT支援キャンペーンのシールを、チャームっぽくどのバッグの時でも付けて普通に歩いていられる私になれました。

 

今までのキャリアは全てリセット

 私は今、医療事務の資格を取る為に週二回午前午後と二時間ずつ、専門学校に通っています。IT系の仕事をしてきて、迫り来る納期、クライアントの無茶振りなどで一度躰を壊してから、それでもやっぱり蓄積してきた物にしがみつく気持ちが強くて、PC周りの仕事を選んできましたが、月金九時五時のフルタイムで働くことが今の私の躰ではもう難しいのだと納得した時に、アスリート同様、今までの蓄積は全てなかったこととして、セカンドキャリアを考えねばならない、という事態に陥りました。精神的に不安定な時にはそれを考えることを心療内科の先生から強く止められていましたが、ある程度術後の躰も心も落ち着いてきた時に、さてどうしようかと考えて思い至ったのが「医療従事者」でした。

 これから絶対に必要とされる職業はまずは介護でしょうが、介護はする側に体力がないと出来ないお仕事です。ケアマネージャーの資格もまずは現場で二年だか働かないと受験資格がないものですし、それはちょっと自分の躰では無理だな、と思い、では資格として手に職が持てて、尚かつこの先恐らく絶対に無くならないであろうし、景気の影響も受けにくいのは、と考えた時に、自分自身が散々お世話になってきて、今現在もお世話になっている医療現場に思い至りました。

 私はずっと座り仕事で人と余り関わらないお仕事を選んできていますが、医療現場は否応なしに同僚だけでなく色んな方と関わることになりますし、患者さんというのは常に具合の悪い方ですから、自分自身が健康でなければ務まらない、ということまで含めて、己をもう一度きちんと立て直す為にも、ある意味人は人によってしか磨かれないだろうなという思いもあって、そういう選択をしました。まだまだ勉強中で先のことは全く不透明ですが、とりあえずやることができ、目標が出来たことで、自分が随分元気になったのだなというのを感じます。なにより、久しぶりの「勉強」が一周回ってとても楽しいので、その後の仕事の斡旋までしてくれるという専門学校の選択は、誤りではなかったと感じている毎日です。

 

母校への愛

 それと同時に、去年の末位からですが、母からようやっと中高一貫の我が母校に関わっても良いという許可をもぎ取りました。何しろてっちゃんと母の結婚は、「母校の若い男性教師と生徒の母親であるPTA会長の結婚」でしたから、在学当時から相当後ろ指は指されていましたし、それを母も過剰に気にして私と母校が関わることをもの凄く嫌がっていました。今にして思えばですが、その結婚で一番株を下げたのは誰か、という話になると、完全に母が女を落とした格好ですので、それもあって過剰に私に嘘をつかせたり口を塞いだり関わることを禁じたりしたのかなと思います。

 いずれにせよ、殺人だって15年で時効だ、今何年経ってると思う?今更もう口出しするな!というか言われても聞かない!と宣言し、その代わりまた私は口を塞がれることにもなりましたが、「母に対して過去の私への仕打ちについての細かい怨み節を吐かない」という条件と引き替えに、私はやっと母校へ関わることを許可されました。そんな取引をしなければ関わることを許されていなかったことや、許可のあるなしを踏みにじれなかった私の異常というのもあるのですが、それはさておいて、自分が一度でもエンディングノートを書いた身としては、いつ何があるか判らないのだから、心残りは最小限にしたいという気持ちが強く、禁止されていたからこそ尚のこと思いが重く募ってしまった所もあって、今の私はかなり母校愛というか、部活愛に満ち満ちている状態です。

 大していい生徒でもありませんでしたし、拗らせた厨二病で斜に構えたかわいげのない子供であった自覚はありますが、そんな私にですら「あれは天与の時であったなぁ」と思える、正しく「青春」を与えてくれたのは、母校であり、その中の部活動であったので、そこへのご恩返しをやっぱりしたいし、今の自分であれば出来ることもある、という思いがあって、丁度今年かつての演劇部の顧問の先生であり、現在の顧問の先生の大恩師であられる先生の米寿のお祝いでもあり、近く卒業公演の際に同窓会を開こう、などという話も持ち上がっていることから、かつて若くはち切れんばかりのエネルギーに満ちていたのが、その気力だけはそのままに躰は随分小さくなってしまって切なさを覚える我らが顧問に、今いい様に使われています(笑)。元々無茶振りと過剰演出の大得意な人ですので、彼女と合わない生徒も沢山いたとは思いますが、私は比較的可愛がって貰った方でして(PTA会長だったうちの母を大層尊敬してくれてもいたので、その娘、という事でそういうバイアスもあったかと思いますが)、長年の不義理を大変心苦しく思っていたのもあり、そして練習やらを見ていると現役生がもう可愛くて可愛くて仕方がないので、私自身の為にもなることですし、コーチングに関しては勿論私一人の力では及ばないことは沢山ありますので、他のOGの力も借りつつ、なんとか現役生に還元して行けたらと思って、働き始めてもそれが続けられるよう、そのつもりのスケジューリングをしている所です。

 

そして遂に有楽町デビュー

 そんなこんなで余りの時間のなさに宝塚の録画も溜まっていく一方で、毎日追えていた宝塚ニュースすら、編集が追いつかずに溜まっていってしまっている状態ですが、なんと、この間無理だろうと思いつつ、自分と母のアカウントを二つ使って、VISAの貸し切り公演の抽選に申し込んだ所、雪組、ちぎゆみの大劇場お披露目公演が、B席ですけど当たってしまい、遂に禁断の有楽町デビューを果たすことになってしまいました。いや~、東京大劇場デビューということは、必然的にキャトルレーヴデビューをも意味することになり、一体幾ら吸い上げられるやら今から戦々恐々なのですが、半ば無理矢理一緒にヅカ落ちへ引きずり込んだ兵庫の友達と、無類のルパン好きの栃木の友達がルパンへの興味で、一緒に行ってくれるそうなので、なんとか二人に暴走機関車を止めていただく方向で……無理かな(^^;;

 基本は星組ファンですが、ともみんが雪に組替えになってから雪もちょいちょい見るようになり、そうしたらえりあゆが凄く素敵で、そしてそのえりあゆからバトンを渡されたのがともみんの同期であるちぎた、お嫁さんのゆうみちゃんは件の96期ではありますが、とても素敵な女優さんで(素だともの凄い天然なのに板の上だともの凄い女優さん、という点でちょっとすみ花に通じるかなと思います)、心から応援したいコンビなので、お披露目公演が当たって素直に嬉しいです。

 その星組のちえねねも退団を発表して、最後の公演の初日がもう始まってしまいましたが、私がヅカ落ちするきっかけになったちえねね、私はどうしてもちえの力量に比してねねちゃんが足りていない、娘役としても意識の高さが足りない、とずっと思ってはいましたが、でも6年組んでやっぱりねねちゃんだったからこそ良かったという部分も沢山あったでしょうし、最後の最後にちゃんと「柚希礼音には夢咲ねね」というのを見せてくれてもいると思いますし、ゴールデンコンビ列伝に入れるかどうかは正直微妙だと思っていますけれど、これはこれで良かったのだと思います。

 そして次なる星組トップは私はアタシ前にさゆみと風ちゃんだと思っていたので、ここでみっさまが落下傘か…という情報を一番最初に聞いた時は若干ショックを受けましたが、このタイミングでなければみっさまのトップはもう難しいであろう事、学年を考えればそう長くは在任しないであろう事、学年差を考えれば風ちゃんはみりおん同様添い遂げずに残ってくれるのではないかという希望、その辺りを考え、今のさゆみの状態も鑑みて、まぁ良い人事なのかなと今は納得しています。たーたんさん、とうこさんで相当底上げされたはずなのに、いつの間にか少し衰えてきていた星組の「歌」の力を、北翔海莉&風ちゃんであればまたもう一度引っ張ってくれると思いますので、いずれさゆみ風ちゃんコンビが誕生してくれることを心のどこかで願いつつも、みっさま風ちゃんコンビは心から歓迎し、応援したいと思います。最近劇団が推しているあーちゃんは、個人的に歌アチャさんなのでちょっと……です。ゆりかが宙へ組替えしてしまいますが、ここはしーらんやみっきーにがっつりさゆみを支えて貰って、「星漢の心意気」だけは絶対に守って欲しいです。「星娘の心意気」に関しては風ちゃんと、そして何と言っても柚長ががっつり控えているので何も心配していません。

 

そんなこんな

 怒濤のように長文エントリーを作成しましたが、個々にきちんと書きたいことがあるというのはお分かり頂けるかと思います。改めて書ける機会があればきちんと形にしたいです。ただ、その時間が取れる機会を待っていたら、暫くの所、こことmixiの日記とtwitterでの呟きの棲み分けというか、使い分けに悩み、新たな記事をポストすることが出来ずにいるうちに年も明けてしまい、そうこうしているうちに一ヶ月以上放置が続いてしまった現状からして、いつちゃんとポスト出来るかわからん、だったら箇条書きでも、というのがこのエントリーでゴザイマス。

 エントリーが無かったのは寝込んでいた訳でも塞いでいた訳でもなく、ただただバタバタしていただけですので、ご心配いただいていた方がいらっしゃいましたら、このように元気にしておりますとご報告いたします。とりあえず今は、日々の勉強と歌と同窓会に向けての顧問の無茶振りに応えることに必死になっております(笑)。そんなことも出来る位には、元気でいます。

 あ、そうそう、Amazon様は私を大変に怒らせましたので、私自身はAmazonでの買い物を最低限にするように努めておりますが、ここをお読みの皆さんにどうしてもご紹介したい物がある場合、品数とアフィリエイトプログラムの点でAmazon一択という状況はいかんともしがたく、忸怩たる思いではありますが、アフィリエイトプログラムだけは今後も使用せざるを得ないのが口惜しい所です。とはいえ、バックチャージが発生する程ここからお買い物をなさる方もいらっしゃらないでしょうし、そもそもお読みになってらっしゃる方の母数が多くないですから、「うちで買い物しない癖に小銭稼ぎだけはするのか」とAmazon様に思われるような機会もないでしょう。この話も語ると長いので、次のエントリーではそのお話をさせていただこうかな。