浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

同期愛

先のエントリーで書いた通り

 あれからずっとバタバタしていたのですが、ようやく一昨日、3/21に、昨年末のキックオフミーティングからずっと動いていた、我が母校の演劇部の卒業公演&OG同窓会が無事終了いたしました。我が母校は中高一貫の私立なので、先生方の顔ぶれも余り変わらないし、創立100周年以上はもう経ってるので宝塚よりも先輩な学校です(笑)。そんな中、我らが演劇部は…何年から続いてるのかなぁ。少なくとも今の顧問が在学中(昭和54年度卒)には既にあった訳なので、最低でも36年以上は続いてる事になります。そして今の顧問が現役生だった時の顧問の先生が来月4/4で米寿となるので、同窓会はそのお祝いも兼ねていたのでした。

 ちなみにその、私達的には「大顧問」の先生は、創立者の先生と一緒に寝起きなさっていたこともあって、旦那様も創立者の先生の所の書生さんだったそうですし、お子様がいらっしゃらなかった創立者の先生に、一度は養女にとも言われた方で、正に我が校の生き字引です。

 顧問の口ぶりからすると、今の母校は生徒獲得やら理事会の意向やらあって、進学方面に特化してきており、古き良き我が校の伝統などとは言い出せる雰囲気でもないらしいです。私達の時代は、中高一貫で上に短大・大学があり、8割方生徒はそのままエスカレーターに乗る前提で、受験の殺気だった雰囲気は中学入学時のお受験のみ、あとはのーんびり、それこそ悠長に朝昼晩部活に明け暮れるなんていう生活もできていたのですが、今の子達はもう高2が終わった時点で一度部活から完全に離れ休部状態になり受験に備え、つい先だってまで高1だった子が高2に上がるや否や部長・副部長などをまかされる、必然的に文化祭や地区大会の折に人数が余り集められない、という状態らしいです。今の子達の大変さを思うと私達は本当に恵まれて、天与の時を過ごさせて貰ったのだなと思います。

 しかしそれでも、ずらーーーっと演劇部OGが一堂に会した図を俯瞰した時、まだ卒業したばかりの下の代の子達や現役生まで含めて、「ああ、我らが母校の、そして分けてもその中で演劇部の、生徒だなぁ」という、なにか同じ血をやっぱり感じたりもしました(笑)。

 

女帝に振り回された(る)日々

 我らが顧問は大変にこう…なんというか…女帝?な方で、平たく言うと大変に取り扱い要注意な方でゴザイマス。私は比較的可愛がって貰ってる方なのですが、そもそも当人達が気付く位に生徒の好き嫌いが凄くはっきりしているという点で、教師としては如何なものかと思わざるを得ません(^^;;。産まれた時から蝶よ花よと大事大事に育てられ、中高一貫の我が校で6年間がっつり演劇部で活躍し全国大会まで出場し、そこから筑波へ進学なさり母校へ国語教師として帰ってきた方で、今回米寿のお祝いをした大顧問は、その際の演劇部の顧問であり、また国語教師でもあり、おそらく顧問が国語教師として母校に着任するに当たっても尽力なさったのだろうなというのは容易に想像が出来る所です。ですので、ただでさえ思いこみの激しい、そして思いこんだら絶対にそれを、周囲が何と言おうと成し遂げるという、パワープレイ一辺倒の彼女が、大顧問に並々ならぬ思い入れと愛情を傾け、ともすると大顧問のことになると暴走しがち、というのもまぁ頷ける所ではあります(^^;;。

 私自身も長らく家庭の事情により母校と引き離されていたので、やっとそこが自由になったそのリバウンドからか、現在かなり母校愛が強くなっている状態ですので、そんな女帝顧問にこき使われるのも「まぁいっかな」と苦笑いしつつ献身的な心でずっと準備などを手伝って来ていました。先のエントリーで書いた通り、コーチ(仮)で関わっていた為、幹事の子達は幹事としてちゃんと他の代の子達が引き受けてくれていたのですけど、一緒にまとめてまるっとスタッフ扱いでした(笑)。

 幸いだったのが、うちの同期に一人、中高の事務に勤めている子がおりまして、その子も日頃何かと元演劇部生ということでちょいちょい顧問に使われていて、彼女も何故か一緒に完全にスタッフ扱いでお手伝いさせられていたので、お互い顧問の理不尽には慣れているとはいえ、偶にやっていられない気分になることもあり、そういう時は二人で愚痴りあったりできたのが、おかしなストレスの溜まり方にならなかった一番の要因かと思います。

 当日が近づくにつれみんなテンパってピリピリしたりドタバタしたり、本番当日も、我らが演劇部にはつきものの、ハプニング、アクシデント、多々ありましたけど、そこはそれ、会場にいるのは全員元or現演劇部、そんなことには慣れっこで、会場全体でなんとか乗り切って無事に終える事ができました。や~、兎に角無事終わってほっとしました。

 4月末のオープンスクール(我が母校を受験したい小学生とその親御さんの学校見学)で、演劇部として、練習などをご披露するという企画があり、それにも当然協力要請が来ているのですが、若干間がありますので、しばし私も息がつけます。

 

それにつけても同期は同期

 当日閉会後は、事務の子と私は撤収後の片付け等も手伝わねばならず、即一緒には行けなかったのですが、久しぶりに一堂に会した同期は当然そのまま帰る訳もなく、時間が許す限りは二次会的に「お茶でも飲むか」となるのが通例なので、「私達も遅れて合流するから、どこかに落ち着いたら絶対場所教えてね><」とお願いして、無事合流。

 お昼ご飯の時、会の進行上ほんの少しの時間だけ一緒に食べられはしたんですが、そこではあまりゆっくりは話せなかったので、只今妊婦です、とか、子供がまだ小さいので、とか、二次会にいなかった面子もいましたが、兎に角会えて話せてひたすら嬉しかったです。

 中にはちゃんと会うのは15年ぶり、下手したら20年振り位の子もいたんですけれど、本当に何でも無かったように「あぁ、ひさきー、あのさー」って、当たり前に、まるで昨日もそうしていたかのように、すっと話が出来るんですよね。あれってホント不思議です。

 私は少なからず不義理を申し訳なく思っていた所もありますし、まして受験の為に一年半位休部していた為、演劇部員としての実質稼働率は実はかなり低い方だと思うんですけど、そんなの事情はそれぞれだしねーって、誰もそんなこと何一つ気にして無くて、何の疑問を差し挟む余地もない程に、私がそこにいるのが当たり前の事だってみんな思ってくれていて、それが何より嬉しかったです。ああ、同期って本当に有り難いなって心から思いました。宝塚でやたら同期愛が強調されるのも判るわと、めっちゃ我が事として身に染みました(笑)。

 やっぱり同じ物を作り、同じ苦労をして、お互いぎゃん泣きしたり怒鳴り合ったり、一緒に合宿や遠征(海外にまで!)に行って寝起きも共にしましたし、今更どう格好のつけようもないんですよね、同期の前だと。勿論「演劇部員の私」というのは、非常に狭い範囲での「私」ではあるんですけれど、例えばあの場で私が「実は今更言うのもなんだけど私どうもセクマイみたいでさー。限りなくレズビアンに近いバイセクシャルというのが今の自認なんだよねぇ」とかぶっ込んだとしても、誰一人多分「あぁ、ひさきはそうかもねぇ」「っていうか今更?あんた中学の時に既に"ひさきさんってレズなんでしょ?"って6組まで(私は1組で、つまり一番遠いクラスにまで)噂流れてたよ」とか、当たり前のように言われて終わる気がします。そもそも無自覚な頃から「女子校時代が人生最大のモテ期」「ヴァレンタインはあげる日ではなく貰う日」と豪語して憚らなかった私ですから(笑)。いや、態々宣言はしませんでしたけど、丁度バツイチの同期が近々結婚するっていう話が出ていて、その流れで、近くまた集まろうねなんて言い合ってもいるので、そういう中で独身組に話を振られたら言ってもいいかなぁ、位に気楽に考えています。周囲の人に恵まれていて本当に私は幸運だと思います。日々の小さい間の悪さ、不運は、こういう大きい物を引き当てる為のチャージだと思えば腹も立ちません。ネタにはしますけど(笑)。

 

「こいつー、導火線短くなったなw?」

 みたいなことを、先日友達に言われまして、最初「あらやだ、確かに元々えらい短気だけど、私そんなに怒りっぽくなってるかしら(゚д゚lll)」とちょっと我が身を省みて、確かに鬱を患ってからはストレス耐性激減している上に、昨今社会と関わる時間が短いので、更に耐性落ちてるかしらと慌てたのですが、友達は「いや、悪い意味ではなくて、我慢というか抑圧が減ったのかな、と寧ろ良いこととして言ったの」と付け加えてくれて、あぁ、それはあるかもなぁと思いました。

 セクシャリティの事について、一番最初にここに書いた時に踏み出した一歩は、自分自身が想像も付かない程大きな一歩だったらしく、あれよあれよと言う間に「いかん、このままでは私は活動家とか運動家になってしまう。そんなものにはなりたくない」と自分で慌てる位に、LGBT関連についての言動が増えました。

 一つには、家族にカムアウトして、万一アウティング(セクマイ当事者が公にしていない性的指向性自認について、本人の了承を得ずに第三者が暴露すること)に遭ったとしても別段不自由ない状況が作れたこと、それによってLGBT関連サークルに所属することができたこと、がとても大きいのだと思います。そこに至る手前の時点で「40も過ぎたしもう本能周りのことを我慢するのはやめよう、疲れたもん」と思ったことが、結果今の私を引き出しているので、遠回りした感はありますが、遅すぎはしなかったというのが幸運でした。

 更には、「癌」と言われて一度はエンディングノートを書いたこともまた大きく影響していると思います。いつ何時何があっていつ死ぬかも判らないのに、思い残したことなんか沢山作ってる場合じゃない!という、ある意味変な焦りが、母校との国交正常回復にも繋がったので、正に雨降って地固まった感じですね。

 分けても、同期とああやって(一昨日のことを反芻しつつ)ホントに腹蔵なく話せる状況になった、というのがとても嬉しくて、幸せなことだと今しみじみ感じ入っています。

 

同期愛と言えば宝塚

 ちなみに。同窓会で判明したのですが、我が演劇部からタカラジェンヌが誕生しておりました。卒業生にジェンヌさんがいるよ、というのは聞いてはいたのですが、まさかそれが演劇部員だとは微塵も思わなかったので超吃驚でした。端から見るとタカラジェンヌ=役者に近いなにか、と考えればすっと演劇部と結びつきそうな物ですが、我らが演劇部はがっつり「高校演劇」「学生演劇」という、商業演劇とは全く違う戦場、フィールドですし、ましてうちの演劇部は基礎練習をもの凄くハードにやるとか、そういう役者としての土台作りに貢献するようなことも余りないので、全く想像もしていなくてただ吃驚でした。寿退団だったそうなその子に、先輩特権で彼女の期と芸名を教えて貰ったところ、私の持っている「おとめ」と組本に載っていることが判明、微妙なミーハー心と微妙に戦っています(笑)。