浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

「芝居心」と「歌心」

高校時代は演劇部所属でした

 但し、音響担当です。我が演劇部はオールスタッフオールキャスト(全員が裏方をし、全員が板にも乗る)がモットーでしたが、機材に張り付いている必要がある音響と照明だけは板に乗ることを免れることができました。勿論基礎練習やトレーニングはみんなと同じようにやりますが、お芝居というものをすることは練習でのエチュードくらいしかなかったように思います。寧ろ音響&照明は稽古なり本番なりをみていることが殆どなので、代替わりをして下級生にブースを譲っても余り大役に付くこともなく大体演出方に廻りたがる人が多かったように記憶しています。

 私は大学はエスカレーターでの内部進学ではなく外部の大学の受験を選択しましたので、高2の夏に一度休部して、受験の結果が出て卒業間近に出戻り、卒業公演には合流しました。ですので、ブースを下級生に引き継ぐ=休部位のタイミングでしたし、卒業公演で戻り後も、元々キャスト志願ではなかったので音響と演出に終始したまま演劇部生活を終えました。

 つまり私は演劇部という場所にいたにもかかわらず、お芝居というお芝居はしたことがありませんし、自分に芝居心があるなどとこれっぽっちも思ったことはありません。演劇部に所属したのは恩ある顧問に誘われたことと、オープンリールに心惹かれた事が殆どの理由だったと思います。

 

そもそも「ブス歴」が長いのです

 高校時代には既に確立されていた私の「裏方志向」に大きく影響していたのは、自分で自分をもの凄くブスだと思っていた期間が長かった事だと思います。極度の近視と乱視で分厚くて野暮ったい眼鏡をしてましたが、眼球のカーブに合わなくてハードコンタクトが入れられなかったという理由だけではなく、眼鏡でもかけていないことにはこんな不細工がお天道様の下を歩いちゃいけない、位に当時は思っていました。

 とりもなおさずそれは抜けきらない中二病的自意識過剰に過ぎないのですが、我が家の場合母がとても綺麗な人でしかもPTA会長なども務めていたりして、先生方や同級生、そのご父兄にもそれは知られていて、幼い頃から「お母さん美人ね」と「似てないわね」をセットで言われ続けた結果、美人に似ていない=ブスという子供の単純な理解が、より根深くブス歴を長びかせる原因ともなりました。

 そういう人間が、他人様に向かって表立って、しかも他人様よりも高い板の上から、何かをアピールしようなどという発想そのものが出てくる訳もないのです。

 このブス歴は自意識がこなれてくる20代前半くらいまで尾を引きましたし、そこから培われた裏方志向に至っては、元々職人好きで自分でも職人的な作業が好きだったものですから、今でもやはりどこかにその傾向は残っています。

 

転機はバンドでした

 眼鏡かけて歩かないとお天道様に申し訳ない位に思っていた人間が、ステージの上に立って真ん中で何かをするなんて言うことは本当に有り得ない話です。幾ら自意識がこなれていったからと言って相も変わらずの裏方志向でしたから、ボイストレーニングにずっと通いながらもそれからさきをどうこうという気持ちは微塵もなかったと思います。

 それが、後ろに寄っかかって丸投げして真ん中で跳ねてるようなバンドのヴォーカリストに一度でもなった、というのは奇跡的な巡り合わせだったと思います。

 以前にも触れたことがありますが2005年は私にとって転機の年でした。年頭にシャーリィが身罷りペットロスで、殆ど逆上していたような状態で吹雪さんとバンドという二本の藁に溺れながら縋りました。その後惰性ですらもう動けなくなって鬱発症するわけですが、吹雪さんのレッスンもバンドの練習も、それを理由に欠かしたことはなかったです。寧ろ、以前から「歌ってさえいれば幸せ」と言い続けていましたが、その時本当に強くそう思いました。

 ネットで「メタルを歌わせてくれるバンドを探しています」という主旨でSNSを利用した所、声をかけてくれたのが以前所属していたバンドのリーダーでした。オリジナルメタルで、ジャパメタ風というかジャーマン風というか、王道のメタルだったと思います。カラオケ音源をお渡しした所気に入っていただけて、全員が年上の中に、今更バンドやりたいっていうのに今まで一度もバンド経験がない小娘とも言えない年齢の私が加わることになりました。

 抗鬱剤を飲みながらの参加でしたけど、リーダーにはいつも「程よい高さでテンションが一定やな」って言われてました。それはとりもなおさず歌っていることが、その場にいられることが、幸せだったからに他なりません。

 残念なことに様々な事情が重なってバンド活動をしていられた時期は一年半位だったかと思いますが、その間に秋葉原のパゴダ、沼袋のサンクチュアリと、聖地のステージを踏めたことはホントにラッキーでした。今でもやりたい気持ちはありますけど、この容色の衰えというか体重の増加はステージに上げていいもんじゃないでしょうねぇ。キンバリー・ゴスほどパンチがある訳でも顔の造作が綺麗な訳でもありませんし(^^;;

 でも短いながらもそのバンド活動は本当に心地よく、後ろに寄っかかっていいんだ、真ん中でただ跳ねててもいいんだ、ということを私に体験させてくれました。自分が前に前に出たいタイプではなかったので、その中でも「いいじゃん別に、できるじゃん」と思えたことは本当に大きかったです。

 

シブイの生徒は言われたことは取りあえずやる

 吹雪師匠のボイストレーニング教室は「シブイオンガクスタヂオ」と申しまして、大変に個性的かつフリーダムなお教室だと思います。私たち生徒は体験上、吹雪師匠に「~~やってみて」とか「こういうことをしてみて」と言われると、それがどんな素っ頓狂なことでも何かしら結果に繋がることを知っているので、無条件に何も考えずにやります。

 以前「歌わないコース」の体験レッスンを受けさせていただいたことがあります。講師は同じシブイ門下生でもありお知り合いではありましたが、きちんとこちらも講師と生徒として対峙しました。その時に同じシブイ門下生として「やっぱり吹雪さんの生徒さんだけあって、これやってっていうと反射ですっとやってくれる。そこに至るのがとても難しい生徒さんも多い」と仰って頂いたことがあります。例えば日常でやったことがないから照れ臭いとか恥ずかしいとか、でも上手くなりたいなら、手応えを得たいならそんなこと言ってる場合じゃないし、やれば絶対良いことがある、というのを吹雪門下生はみな意識無意識問わず知っているんですね。

 というわけで、昨日のレッスンも私は何も考えずに言われた通りに歌いました。まずとうこさんのブルースレクイエムを特に何の指示もなく自分の歌いたいように歌詞の指し示す通りに歌った後に、中村中ちゃんの「見せ物小屋から」という、かなり情念系の歌で、今までレッスンで歌う時も必然的にそういう歌い方になる歌を、さらっと「今のと同じように希望に満ちた感じで歌って」と言われました。

 そんな芝居心は私にないよ!とは当然この場合言えない訳で、なんとか出来ないなりに頑張ってキャラクターを作って歌ってみた所、もの凄く感じが変わり逆に情念系に歌うよりも怖さが出てそれはそれで面白かったです。謂わば山崎ハコ系が森田童子系になったような感じ、といって伝わるでしょうか。

 

「歌」に向かう時の私は真摯だと思います。そして幸せです。

 そもそもが怠惰で自分に甘く安普請の薄っぺらい人間ですけど、歌にだけは背いた事がないというのは唯一自分が自分で自慢できることかなと思います。背こうったって「歌う」ってことはその瞬間の自分が全部見えてしまう事でもありますから、嘘偽りの入り込む余地もありませんし、自分がまだまだだという自覚があるので、常に頭を垂れて真摯でありたいですし、そうであると思います。

 そして、何度でも言いますが「歌ってさえいれば幸せ」なので、歌う場にいる私は普段の私の100倍くらいいい人に見えると思います。歌に対して謙虚で真摯で、で、幸せだからにこにこもしてるでしょうし、テンションもそれこそ「程よい高さで安定」してるでしょうし、そういう場にいる私だけを知っている人は、多分私をとても良い風に思って下さっていると思います。まぁ実態がそれだけではすまないこと位、皆さん大人ですからお分かりでしょうけど、でもとてもポジティブに感じていただける事が多いです。

 未だに「歌心」ってどんなものなのか、私にはよくわかっていないのですけれど、昨日レッスンで「山崎ハコ森田童子に化ける」という現象が自分から出て行くことを体験して、ああ、歌心っていうのは、私の芯にある物でいいんだな、とちょこっとだけ思えました。小手先で歌い方だけ変えて山崎ハコ森田童子にすることは簡単でしょうけれど、そこにまつわる情念をまでそれだけでは引っ張ってこられませんから、自分がブレずにそれを作ってあげる事さえ出来れば、歌の表情は後から付いてくるんだなと思った時に、「あ~、芝居心っていうのも結局そういう事なのかな」とうっすら思いました。

 以前演劇部の顧問に、卒業して何年も経ってからですけど「芝居に向いてる」と言われたことがあります。一度も板に乗ったことのない私が、芝居どころか歌っている所も見たことがない演劇部顧問の恩師に、です。丁度その時はバンドで歌っていた時でしたから、そんな「真ん中オーラ」でも出ていたのかも知れませんが、もしかしたらその「芝居心」は、もう既に歌に臨む時にちょっとながらも「歌心」として持っている物とリンクしているのかもしれないなぁ、と昨日のレッスンの帰り道に思いました。

 

「歌いたいの」と「歩いて」の山崎ハコさんの歌詞は染みます

 私はクリエイティブな人間ではないので自分で曲を作ったり歌詞を書いたり(したことはありますけど)は出来ませんし、しません。だから、シンガーソングライターにはなれませんし、弾き語りもできないので、一人だと何も出来ないただの歌うたいです。ただ、役者が脚本と演出の上に芝居をするように、人の曲、人の言葉の上で歌うっていうことは、多分それなりに出来るんだと思います。

 昔の彼氏に、誰よりも私を「歌わせてくれる」人がいました。数ヶ月であっさり切れましたけど、切れた一番の大きな理由は「彼が私を歌わせてくれなくなったから」でした。歌わせてくれるって点で私が彼を重宝していて、彼は彼で私を結構便利使いしていたという、なんとも荒涼とした関係でしたけど(や、甘ったるい時期もそこそこありましたよ、勿論)、歌える、こんなにも歌わせて貰えるっていう点では実に幸せというか充実していました。

 今はなにせ療養中かつ手術の日取り決定待ちなので、何も出来ない私をホントにご厚意から歌わせて下さる大好きなマスターのいるANTON STUDIOにも全然行けていない状態ですけれど、早く復帰したいとも思いますし、もっともっと、まだまだの自分の歌を鍛える機会が欲しいなとも思います。

 歌いたい、です。切に。