浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

歌うことはできるけれど

「君は歌うことが出来る」という

 さだまさしさんの曲を、さださんファンだった友人から「いいよ~」とお勧めされたのでYouTubeで観てみました。


「君は歌うことが出来る」(MV フルサイズ) - YouTube

<歌詞:http://j-lyric.net/artist/a0004ab/l032b75.html

協力してる人達もそうそうたるメンバーで、うん、確かにこの映像にこの歌は相応しいな、この歌にこの映像は相応しいな、という風に思いました。

 長年さだまさしさんのファンをやっている友達を持っていて言うのも憚られるのですが、私は余りさだまさしさんを好きではありません。偶に「あ、いいな」と思う曲もあるのですが、根本的に説教臭い&男尊女卑っぽいところがあることと、言葉の使い方のセンスが私の好きな方向性ではない点が、総体的に見ると「余り好きではない」という評価になってしまう次第です。後、思想的なものを含む歌を歌っている割に、右に行ったり左に行ったりでブレが激しいというのも、私の中で「歌うたいとして好きな部類か」と問えば否となってしまう所以です。

 

私は「ただ」歌うことしかできません

 YouTubeのMVを観て下さればお分かりの通り、これは自分の言葉で、自分の音で、歌(曲)を作れる人の歌であって、自分の言葉でも、自分の音譜でも、なにも作り出せない私はこの輪の中には当然入れて頂けない訳です。人の言葉を、人の音譜で、歌うことしか私には出来ませんから。

 勿論試してみたことはあります。楽器やってないんで、楽器弾きながらぽろんと出てくるとかそういう事も有り得ないので、本当に鍵盤を前にしてのたうつようにゼロから作ってみた曲はありますが、余りにもクソつまらない曲で、あっさり自分で「こりゃ駄目だな」と見切りを付けました。

 辛うじて、バンドをやってた時に、コードと譜割だけ貰って歌メロを作る作業をしたことがあって、そちらの方はまだ指し示して貰った流れ、道がある分だけどうにかなりやすかったです。そしてそうやって作った歌メロに歌詞を乗せるのは、余り苦になりませんでした。

 基本が「音」の人間ではなく「言葉」の人間なので、曲先であればどうにかなるのですが、詞先で曲を作るのは無理ですし、何しろ楽器が出来ないのでコード進行のパターンとかそんな簡単なことすら知らない訳ですから、それを一からやってまで、じゃあ自分に主張したい何かがあるのかと言われてしまうと、今の私はそこまで怒ってもいませんし、恨んで…はいるのかもしれませんけれど、それは人の歌にでも乗っけてしまっていますし。

 自分で作詞作曲できて、自分がギターなりキーボードなり弾けて、一人でもLiveのブッキングが出来たら歌う機会が増えて鍛えられるんだけどなぁ、と思うことは多々あります。ただ、必死に楽器に、作曲に取り組む時間があるなら、私は今私に歌える歌をどうにかしたい、という気持ちの方がどうしても強くなってしまうので、人の言葉で人の曲を歌うのが精一杯、という現状です。楽器と違って歌にはどうしても年齢による衰えがあります。限られた時間の中で出来る限り歌いたいと思ったら、よそ見をしている猶予はない、残されている時間は限られている、と気持ちが狭まってしまうのです。

 

それでも歌うことをやめない、やめられないのは

 歌は私にとって祈りであり叫びです。生々しい己の感情の全てをそこに乗せてさらけ出すストリップです。歌は何も誤魔化せないので、だからこそ、照れ隠しというか余りにも晒している己が恥ずかしいのでちょっとの外連に頼ってみたりもする訳ですけれど。

 純粋に、声を出すのって躰自体が気持ちいいじゃないですか。昔演劇部の先輩が大学に入ってから、「何かストレス溜まるな何でだろうと思ったら発声練習してないからだった」って仰ってたことがありますけど、単純に大声出すとスカッとするっていう人の生理としての心地よさは絶対にあると思います。

 そして、私は口を塞がれて育った子供でした。嘘もつかされました。この辺りは昨今カウンセリングで先生にあれこれ話している部分ですけれど、辛くて辛くて、これをどうしたらいいんだろうと思った時に、丁度その時某劇団の研究科にいた友人の舞台を観て、あ、こういう方法があるなら、そして彼女がああいう風にそれを表現するのであれば、私は歌う、歌が多分、いや絶対、私を助けてくれる、と確信して彼女の舞台を観た翌日とかもう超直後に最初のスクールのボーカルコース入会の手続きをしてました。

 何故その時直感的に「歌」と思ったかと言えば、物心つかない幼い頃から音楽と私が切っても切り離せない間柄で、そして何よりもまず本能的に「歌うのが好きだった」からしかないと思います。

 そこでスクールに通い始めてから初めて意図的に、私の「歌に縋ってどうにか苦しさを回避する」という生活がスタートしています。

 

「自分の歌」や「自分が歌うことに悩んだ時」に

 有り難いことに、吹雪師匠はそういうナイーブな事柄にアンテナが働く人です。ですから、アタシがふわっと「最近私の歌つまんなくないですか」とかいう問いを投げかけても、がっつり真摯に答えてくれますし、「最近の私の声だと歌える曲が限定されませんか?」とかそういう技術的な事に詰まった時でも、すらっと返事が返ってきます。ですから安心して吹雪師匠の耳をお借りして私は好き勝手に歌い、時に自分で「ん?」と思ったら即座に相談し、そして師匠は即座に「それは…」と返して下さったり、私のその時の声(歌)を聞いて、今日はどの曲を歌わせるのがいいな、というのを黙ってセレクトしてくれます。こういう方がいるから「私は歌うことが出来る」訳です。逆に、いなかったら歌うことさえちゃんと出来ていなかったかもしれません。歌に関しては、好きだから何が来ても苦にならないというのをさっぴいても、先生運や、歌が繋いでくれたご縁がべらぼうに良かったなと思います。

 吹雪師匠に限らず、自分では楽器も弾けず曲もかけない私を、ただ単にご厚意でギター弾いて歌わせて下さってるANTON STUDIOのマスターなんて、ホントに有り得ない程ラッキーなご縁でした。どういう理由で私を気に入って下さったのか良くわからないのですが、「私の歌」を聴いて某か思う所があって歌わせて下さっているのだとしたら、私は「人の言葉、人の音を歌う私」をもう少し評価してあげてもいいのかもしれません。

 

「生きている実感が欲しいから」

 私の歌について、そう表した人がいます。20年以上付き合って親友と呼んでいた人です。その瞬間にああもう駄目だ、と思いました。他のことであればまだ議論や歩み寄りの余地は合ったのかも知れません。けれど、重度の鬱の時にも虚ろな目&這々の体で行き帰りしてさえレッスンに通い、歌い続けた私の歌が、「生きている実感」程度の物しかもたらしてくれないのであったら、とっくに私はその重度の鬱の時に会社の窓から飛び降りるか、家のドアノブか鴨居にロープでつるさっていたでしょう。生きている実感なんて鬱の人間にはありません。死ぬことしか考えてなかった時も長かったです。それでも、それでもどうしても苦しくて、だからせめて歌に縋って縋って、どうにか、娘達を置いて死ぬことだけは免れていられた訳ですから、寧ろ歌が私の生殺与奪を握っていると言って過言でないでしょう。歌が私に与えてくれるのは明日一日をどうにか生きるその気力というか命そのものですが、彼女がずっと自傷癖のある子が繰り返すリストカットと同じ位にしか思っていなかったのなら、さぞかし私はお気楽で自堕落で我が儘に見えたことでしょう。まあ自堕落で我が儘については否定しませんし、他の何を悪し様に言われても多分、娘達のことと歌についてでなければ、私もある程度スルーできたのだろうと思います。

 もう過ぎたことですから去る人を追う気持ちもありませんし、ちゃんと「私にとっての歌」が何かを判ってくれている人がいることも知っているので、今更何をどうという気持ちもないですけれど、まさか20数年付き合ってそこが伝わっていなかったとは思わなかったと、ある意味吃驚した事柄ではありました。そして、私が受けたその謗りに関して、私以上に怒ってくれた人がいたことで、逆に有り難かった出来事でもありました。

 

いずれにせよどうせ歌います

 WiiUカラオケのキャンペーン35日1000円チケットはもう切れてしまいましたから、また唐突に歌いたくなったらさっさとチケットを買って、ご近所迷惑顧みず歌うことでしょうし、吹雪さんの所にはせっせと宝塚の音源を持っていっては歌わせて貰っていますし、ベルカントのレッスンにしても、手術時の麻酔の挿管以降迷子になりっぱなしですっかすかだった高音も、ほんのちょっとずつですが、毎回良くなってきていますし、高音がでなくなった代わりになのか、苦手だった中音がしっかり出るようになってきたので、問答無用で頭数に入れられてしまっている秋の発表会までにはなんとか人にお聴かせしても大丈夫なようにまでは持っていきたいと今結構必死です。

 誰に赦されようと、誰に咎められようと、私は歌いますし、歌えなくなったら生きる気力の全てを失うこと間違いなしです。私は私の為にしか歌っていないエゴイストかも知れません。ですから「歌うことが出来る」と認めて貰えないのも当たり前かなとは思います。けれど、明日を明後日を、一年後の今日を、生きている為に今通院だカウンセリングだとあがいている中でも、歌うことは一番の私の「命」に直結した命綱です。人の言葉、人の音譜であっても、「歌うこと」は出来ますし、それで生きている人間もいるのだと、上から目線の説教臭いおっさんには気づいて欲しいなと、友人には申し訳ないですが、ちょっと思ってしまいました。まぁソングライターであれない自分のコンプレックスを刺激されただけの八つ当たりかも知れないんですけどね。