浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

「ジャクリーン・エス」映画化話に思うこと

頓挫してくれないかなぁ

 というのが映画化というニュースを見た時の思いっきり率直な感想です。昨今話に上がるだけ上がって結局どうなったんだかわからない映画は沢山ありますから(サスペリアのリメイクは結局あれ、頓挫ですよね?シンシティの2はアンジー引退しちゃいますけど撮るんですかね)、できるならそうなって欲しいと思っています。進捗を見た限りではまだプリプロ段階ですから、このまま立ち消えになる可能性も有り得ます。っていうかあってくれ。

 一応プロデューサーは原作者のクライブ・バーカー本人なのですね。脚本も一部は彼のようです。そして監督は女性で、今までフルサイズでの映画監督の経験はどうやらなさそうです。きれいで多少は病んだ感じの人ですから(ちなみにこんな女性)、ひょっとしてこういう人が撮るなら、私の望むジャクリーンに近い物を撮ってくれるかも知れないです。「めぐりあう時間たち」で愛する夫と愛らしい子供に囲まれてお祝いをしながら、どうしてジュリアン・ムーアがトイレで声を殺して泣かなければ行けなかったのかは、多分男性の感性には余り正しく理解して貰えそうもありませんし、そういう女性の寄る辺なさがわからない限りジャクリーンが撮れる訳がないので。

 そしてVFXの技術が幾ら進歩しようとも、あのラストシーンを「ちゃんと」「安っぽくならず」「本来のキャラクターの意図通りに」再現できるとはとても思えないので、ピーター・ジャクソンとWETAのタッグでもない限りちょっとやっぱり私の狭い心では容認しづらいです。

 よしんばクライブ・バーカー本人が監督すると言われたってちょっと眉を顰める所ですのに、噛んではいるけど直接撮ってる訳じゃないとかいわれたらもう、肩を竦めて両手を広げて首を横に振るしかありません。

 

私のはてなのアカウントIDは

 「jacque_hisa」ですが、今までのエントリーの中で他人が自分のことを呼ぶ呼び方は「ひさき」と表記しています。昨今そちらのHNで呼ばれる機会の方が多いのでそうしたもので、アンダーバー後半の「hisa」はひさきのhisaです。では前半の「jacque」は何かと言えば「Jacqueline」の略なのです。今でも一部の方は私を「ぢゃくりーん」「ぢゃく」などと呼びます。昨今使用頻度が下がっていますが、私のもう一つのHNは「Jacqueline.S」なのでした。勿論、出典は今回話題のこのジャクリーン・エスです。彼女は恐らく「Mrs.ESS」とは呼ばれたくないだろうから、エスの部分は記号化してSと表記していました。

 ここでも名美の話はしたことがありますが、私にとっては名美同様、ジャクリーンももの凄く大事な女性なのです。勿論、名美に対してもそうであるように、そして自分のHNにしてしまっている位、その愛はぐるっと一周回って自分に返ってくる多分に自己愛的な物ではありますが、そうであってもというかそうであるからこそというか、そのジャクリーンを壊されたら激怒じゃ済まないです。竹中直人さんが余貴美子さん演じる名美に「違う!それじゃ名美じゃない!」と言ったように(竹中さんは大変な石井隆さんのファンです)、私だって多分「違う、そんなのはジャクリーンじゃない!!」って言うと思います。

 

女優さんがやるとしたら超演技派か天然か

 日本で出来る女優さんはいないかと考えたら大竹しのぶさんしか思いつきません(結局名美役者ですね)。自分自身の足元の寄る辺なさと、持ってしまっているアンバランスに強大な力と、ほんのささやかに求める物の、けれど彼女にとっては些細な差異さえ許し難い難しさと、緻密に演技するというよりは、依憑(よりわら)的な器になれる人の方がまだやりやすそうです。

 現在発表されているジャクリーン役の女優さんのキャリアと見た目を見る限りでは、年齢はきちんとお顔に現れているのでそれはOKですけれど、他の部分は分からなすぎて期待していいのか悪いのか全くわかりません。

 相手役の俳優さんは発表されてませんが、これはある意味女性にとってのDreams come trueなので、過剰な個性は必要ないですけれど、取り憑かれていく過程が安直だとただのだらしない男に成り下がってしまうので、ちょっと歳は行きすぎですけど、レイフ・ファインズとかあの辺の役者さんがやるのが順当な役でしょうね。今ならそのポジションは誰になるのかな。

 しかし、本当に真面目に作ってくれるのならいいですけど、昨今のハリウッドのネタ不足にホラー定番としてクライブ・バーカーを引っ張り出してきただけだったとしたら(某マイケル・ベイとかマイケル・ベイとかマイケル・ベイとかみたいに)、あんな繊細な話を安物で安直なポルノまがいのC級ホラーとかにされやしないかともう心配で心配で、心配の余り頓挫を希ってしまう位心配です。

 

クライブ・バーカーはファンタジーの人だと思います

 ジャクリーン・エスは彼のデビュー作でもある血の本シリーズの二巻に収められていますが、初期の頃から彼の書くホラーは異世界物が多くを占めていました。そして、異世界の怪物、異形の物というのは、活字から想像するから恐ろしさがいや増すのであって、ヴィジュアライズされてしまうと呆気なく馬脚が現れてしまうというか、一気に怖くなくなってしまうことが多いです。ラヴクラフト物の映画の殆どが悉く外れているのは正にその点だと思います。

 クライブ・バーカーは、幸いにしてセンスの良いスタッフに恵まれたお陰でヘルレイザーではピンヘッドを始めとする素敵なキャラクターを作って貰えましたが、 ロウヘッド・レックス(骸骨王)に至っては開始20分位で溜息をついて劇場を出て行っても誰も文句は言わないような代物でした。

 映画となるとホラーと分類されることの多い人というか、そういう扱い方しかされていませんが、書いている物は元々ホラー小説を名乗っている頃から異世界物が多かった事でも分かる通り、今の彼はファンタジーの人だと思います。ファンタジーと言って悪ければブラックファンタジー。何故そう思うかというと、私が読めなくなったからです。

 私にはどういう訳か極度のファンタジーアレルギーがあります。子供の頃は普通にミヒャエル・エンデとか読んでましたし、モモもネバーエンディングストーリーも好きでしたが、考えたらその両者を比べた時にモモの方が好きだった時点で萌芽は合ったのかも知れません。お陰様で大好きなPジャクのロードオブザリングを劇場で見る勇気が出ず、エクステンディットエディションを買ってもまだ重い腰が上がらず、指輪ファンの友達が「隣で解説してあげるから、Pジャクを愛してるなら頑張って!」と言ってくれて初めてちゃんと見られたというエピソードまであります。それですら途中ちょっと辛い所がありました。Pジャクだから全部見切れたような物です。

 ホラーとSFとファンタジーと幻想小説の明確な境界線はどこだと言われるととっても困るのですが、私にとっては「あ、これは駄目だ」と思う物がファンタジー要素の強い物であるという経験則から、摂取してみるまでは分からないけれど、自分で「あ、駄目だわからん」と思った物がファンタジーということに勝手にしています。そしてその伝で言うと近年のクライブ・バーカーの本は、ブラックファンタジーの部類かなと思うのです。血の本シリーズの中ですら異世界色の強い物は余りちゃんと読めなかった記憶があります。

 彼が原作監督したミディアンは、完全に「スラッシュ描写もあるブラックファンタジー」だったと思います。クローネンバーグ大先生があんな美味しい役で出ていなかったら、多分あれも途中でビデオの停止ボタンをポチッと押したと思います。

 

ジャクリーン・エスは一応ホラーではありました

 だから私がちゃんと最後まで読めた(短編ですしね)というのもありますし、ホラーであるが故に、ホラーでなければ、あの完璧なエンディングは有り得なかったと思います。私は一時期、というか今でも結構、ジャクリーン・エスは「女性にとって世界一の純愛小説」であると思っていますが、それは体裁がホラーでなければあそこまで「純愛」としてパーフェクトな形で終われる事は出来ないお話なのです。当時どうして男性のクライブ・バーカーにあの感触が分かるのだろうと不思議に思いましたが、彼がゲイだと聞いていたく納得した物です。

 ですから映画化するのであればきちんとホラーの文脈で撮って頂きたいですし、そのラストシーンの「完璧な純愛の完成」を、安手のVFXで適当に誤魔化されたら、私が劇場で暴れかねません。や、そもそも見なければ良いんですけどね、でもやっぱりジャクリーンがどう映像化されるのか、気にはなりますし、この辺がファンの心理の面倒くさい所ですね。

 その辺の面倒くささも含めて、出来れば頓挫して頂きたい物だとやっぱり思ってしまうのでした。