浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

幼稚な愛

幸薄系(さちうすけい)

 自己紹介にもさらりと書いたのですが、私のツボにハマるタイプの女性の特徴の中に「幸薄系」というのがあります。首筋や肩が寂しそうな、デコルテが薄い華奢さがあったりすると尚のこと良しな感じで、この辺り非常に自分の中に殿方的いやらしさを感じで凄く嫌な部分でもあるんですが、はっきりともうそれは自分の好みであり性癖なので、ここは包み隠さず白状しておきます。ちなみに「幸薄系」として私の心の琴線に最も触れる人は中森明菜です。実に最も低いと書いて最低だなと自分でも思います。

 少し隙があったり、少し頼りなさそうな部分があったり、少しだらしないような所があったり、兎も角「何かしてあげたい」という引きがある所がいい、というのと、単純にその幸薄さが私の性根にある加虐的な部分に触れるのと、説明できる理由は幾つかありそうですが、そういう女性がいるとぱっと目に入るのは最早脊髄反射の域ですね。他の弱点、ツボポイントである無垢であったり幼気であったり健気であったりとも若干被る所はあるんですが、そこまで言及すると話が取り散らかる一方なのでここでの話は「幸薄」だけに留めておきます。

 

「名美」という価値観

 最早自分の中で価値観の域にまで達しているある女性観を、私はよくそのキャラクターの名前そのままに「それって名美だよね」「あれも名美だったのか」などという使い方をしますが、「名美」というのは石井隆という方がずっと描き続けているヒロインです。元劇画作家、現映画監督である石井さんの作品には、それぞれに名前が同じである以外に何の関係もない沢山の「名美」というヒロインが登場します。彼の中でのある種の女性の象徴というかステレオタイプなんだと思います。

 顔は石井さん最愛の亡くなった奥様にそっくりですけど(顔の造作だけなら女優の余貴美子も似ていますね)、生前の奥様は「首から下は私じゃないからね」と仰せだったそうです。それもその筈、劇画作家時代に石井さんが書いていたのはズバリのポルノでしたし、映画でも濡れ場の多い物も多いですし、しかも大抵沢山の名美はどぶ泥の中を這いずるようにして生きているか、無理矢理そこへ落とされるか、いずれにせよ名美はどの名美もとても悲惨な状況下にあります。但しそれでもぎりぎりで美しい人です。大抵の場合名美はその不幸をどこか諦念を持って甘受しようとし、しきれないことで破滅していく女性達で、そしてとりもなおさず名美の不幸というのは、「女性である事」に端を発している事が殆どです。まるで、女性である事は苦痛を甘受する事であるとでもいうかのように。

 なので、私の中で「名美」という価値観は即ち、女性である事に苦しみ、女性であるが故に何かを負わねばならない状態とほぼ同一と言えます。

 そして、始末の悪いことに、私はその「名美」を、かなり幼い頃に強烈に刷り込まれもの凄く愛してやまないのです。私が触れた最初の名美は石井さんの書いたロマンポルノの脚本の中にいた活字の名美と、その挿絵に使用された石井さんの劇画タッチのイラストの名美でしたが、それがもう幼心に強烈に食い入って、以来私はずっと名美に取り憑かれているままです。それは最早、作者である石井隆さんご本人とは関係のない所で、とまで言い切れます。石井さんご本人とはファンとアーティストという繋がりながら多少の面識があり、かなりがっつりお話しさせてい頂いた事もあるので、その上で過去はどうあれ現在は最早無関係であると言い切れてしまいます。

 

ねじ曲がった自己愛

 私が名美を熱愛するのは、とりもなおさず自分自身が「名美」であるという思いがどこかにあるからに違いないと思います。女である事が辛い、女である事で殿方には必要ない物まで負っている、そういう被害者意識のような物がねじ曲がって、名美への熱愛に繋がっている側面がある事は全く以て否定のしようがありません。私が殿方が苦手で女性の方が気が楽だというのも畢竟、自分自身に近い物、もっと言えば自己投影が可能な物をしか私が愛せないからなのかもしれないとさえ思います。

 人は幼い頃から成長して行くに従って、愛情の対象として自分から遠い物を選ぶ事が出来るようになると私は思うのですが、どうでしょう?小さい頃は愛の対象は自分と家族であり、それが友達、身の回りの近しい人に及び、そして思春期に同性の友人へのちょっと度の過ぎた執着心や独占欲を持つような経験を大抵誰もがすると思いますが、そういう段階を経て自分と最も遠い存在である異性を愛する事ができるようになるような気がしてならないのです。勿論人は自分と全く逆の性質の物に惹かれる傾向もありますが、それはある意味自分自身がどういう性質なのかがある程度確立されてから、つまりある程度の成熟を必要とするのではないかと。そして翻って己を鑑みると、自分に近しい物をしか愛せないような私の愛は、大抵どこかぐるっと廻って自分自身への愛へと繋がる、極めて幼稚な物なのではないかと思うのです。

 

 幸薄系、名美系に引っかかるのは、幼稚さからくる捻れた自己愛であると主に、支配的、独占的愛でもあると言える部分もあるのですが、それを含めて語ると少しアングルが変わるので、とりあえず今回の所は自分の愛が稚拙であることと、私の中にがっつりと存在する名美という価値観に触れるに留まっておきます。

 

私にとっての幸薄&名美代表格幾つか

 私の心の琴線に触れる幸薄系の代表格をざっくり動画にしてみました。やっつけなので音や映像の繋ぎは相当杜撰ですが、吉野公佳(PhotoBy堤あおい)→中森明菜遠山景織子→岩本千春(ホームラン軒のCM)の順です。

 「名美」の方は編集可能な映像が手元にないので文字での紹介に留まってしまいますが、「死んでもいい」で実際演じられた大竹しのぶの名美が完璧でした。顔は似てませんけど、他の誰がやった名美より一番名美です。煙草を吸うラストのワンカット、あのワンカットの為に冗長なそれまでがあったと言っても過言でない程強烈な「これぞ名美」という圧巻のお芝居でした。

 あとは何故か竹井みどりが強烈に名美を想起させます。恐らくあぶない刑事の「生還」という回でのゲスト出演が印象に残っているせいだと思われます。 <14:40~15:08が最高に名美な感じです、DLして切り取れる物ならそこだけ切り取りたい
その後彼女の写真集など買いあさっていますが、やっぱりどれも名美ですね。

 本家本元の石井さんが描いた名美に関しては、ありとあらゆるシーンを考えてもここが一番名美だと思いました。

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全部スキャンする訳に行かないので選り抜きで極め付けのワンシーンのみですが。ちなみにこのシーンと大変に似たヨーロッパの映画があります。ネタバレになってしまうので映画のタイトルは出せませんが、そこそこ有名な監督の有名作です。あれより先にこのシーンは石井さんが描かれていましたが、まさか極東の劇画作家のポルノ作品でそんなシーンがあろうとはマエストロもご存じないでしょうから偶然の類似でしょうけど、「僕の方が先だったんだけどなぁ」と石井さんご本人はボヤいておいででした。

 

※例によって芸名は敬称略とさせて頂いております