浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

頭痛交々

今朝も頭の痛みで目が覚めました

 頭痛日記というものを付けています。これ、正式名称でちゃんとお医者様から頂いている冊子です。私の頭痛の主治医である慶應義塾大学付属病院神経内科の鈴木則宏先生が監修し、興和(KOWA)さんと一緒に開発をした、実に歴とした物なのであります。7年振り二回目の出場ならぬ通院として、昨年10月からまたお世話になっているのですが、婦人科に行ったらまず基礎体温表を付けることからスタートするように、頭痛外来に行ったら頭痛日記を付ける事がまず第一なのです。7年振りの頭痛日記は装いも新たになって昔に比べると随分書きやすくなりました。

 書く内容は単純です。一日の0時から24時までが横軸、痛みの度合いが縦軸のグラフがまずあって、それに時間毎の痛みの波を記していきます。その横線グラフの下に、何時にどの薬を飲んだか書く欄があります。頭痛外来で使用される薬の種類は大体決まっていますから、その頭の文字だけを書けばOKなようになっています。ロキソニン二錠なら「ロ2」とと書いておけばOK。で、グラフの右側にMEMOとして、どんな痛みの種類だったか、脈打つような痛みか、ずーんと重い痛みか、予防薬はこの日は飲んだか、そして、女性の月の周期とも関連が深いので周期で何日目か、そんなような事を書けるようになっています。一ページには一週間分記せるようになっており、ページの右下に、その週に何回発作が起こったかを塗りつぶしていく目盛りがあります。先週の私の目盛りは6でした。つまり7日中1日は「発作」に当たる頭痛がおこっていないことになります。但し「発作」のあるなしと頭痛薬を飲む飲まないはまた話が別なので、痛みはあったけれどもずっとグラフの横軸が低く遷移していたので飲まなかった、そしてそれは発作とカウントしない、ということもままあります。昨日と一昨日はなんと一回も頭痛日記を開くことなく無事に過ぎており、去年の12/24にもそういう事があったので、立て続いて大変ラッキーだと思っていたら、今日はやっぱり頭の痛みで目が覚める羽目になり、良い事はそう続かない物だと実感している所です。

 ちなみに、私が頭痛薬を全く飲まず、全く痛みの根っこの気配すらない日を過ごせるのは、一年365日のうち、大体平均して3日~5日程度です。でも慶應に通院復帰しましたし、新しいお薬も試して頂いているので、今後好転していく可能性も勿論あります。

 

お医者様も色々いらっしゃいます

 私の頭痛遍歴は年齢マイナス6年です。つまり、6歳の頃から頭痛の自覚があって生活をしている事になります。最初は子供ですから、何が起こっているのか何なのか分からないままに、ただ頭が痛いと周りに訴えるだけで、周りの人がああではないかこうではないかと色々と試してくれていました。視力が急激に落ちたのが小学校二年の時でしたので、頭痛はそのせいではと思われたり、小学校4年の頃に家庭内に大きなトラブルが発生したので、ストレスによるものではないかとか思われてもいたと思います。小学校高学年の頃からは、肩こりの自覚もありましたから、そのせいではとも思われた時期もありました。私の家庭は波風の多い家ですので(残念ながら過去形ではありません)、子供ながらに頭が痛いと言って保健室に行く事は、ある種の問題行動とも受け取られていた可能性もありますね。

 視力が落ちた影響は確かにあったのだと思います。メガネをかけるようになってから中学高校と、比較的症状は落ち着いていたかもしれません。いえ、いなかった可能性も大いにあるのですが私の家庭が最も荒れに荒れていた時期ですので、それどころではなく記憶から抹消している可能性もあるのでなんとも言い難いですね。

 そして大学の頃からはっきりと症状の悪化の自覚が始まりました。「鎮痛剤の効かない痛み」「寝過ぎると酷くなる」「鼓動と一緒に痛む所謂拍動性の痛み」という、今から思えば典型的な片頭痛の症状なのですがその当時はそんな知識もなくただただ辛いばかりでした。

 大学在学時か卒業してからか忘れましたが、20代前半に一度人間ドックを受けた際に、そこのお医者様に頭痛について相談した事があります。その時そのお医者様は、「女性の頭痛は難しいですから」といっただけで、それ以上何をどうしたらよいのか何も仰いませんでした。今になればかなりはっきり「片頭痛」と診断できるキーワードを私は言っていたと思うのですが、その先生は恐らくそうした知識のない方だったのでしょう。

 ちなみに、案外「偏頭痛」という言い方は頭痛一般に対して世間では杜撰に使用されている嫌いがありますが、正しくは「片頭痛」であり、頭の片側、もしくは両側、いずれにせよ前頭部に起こる拍動性の痛みがそれに当たります。肩こりや眼精疲労、血流の悪い事で起こる、後頭部にずしりと重く来る痛みは「緊張型頭痛」に分類されます。それに別名自殺頭痛とも言われる、突発的かつある時期に集中して激しい痛みに襲われる「群発性頭痛」(ダニエル・ラドクリフが罹患しているのがこれです)、そして最近では主に片頭痛に使われる治療薬の濫用によってより難治性になってしまうという「薬害性頭痛」が加わって、頭痛の大体の症状は網羅されると思います。それぞれに診断の基準となるかなりはっきりした特徴がありますので、もし頭痛でお悩みの方がいらしたら、まずそうした判断の付く専門の先生にかかる事が一番の解決の近道だと申しあげておきます。

 20代後半から30代前半にかけてかかっていたお医者様に、私は初めて「片頭痛」だと診断されました。但しその先生は西洋医学盲信一辺倒の方で、症状には兎に角薬を積み上げるタイプのお医者様でした。その当時新しい片頭痛の治療薬が日本で初めて認可され、私も当時発売されていたあらゆる薬を試していただきましたが、合う合わないがあったり、それからお天気、気圧によっても効く効かないが結構発生して、それを訴えた上で、漢方薬なども試してみたい旨相談したのですが、一蹴されてしまいました。どうしても痛みに薬が効かない時に、ボルタレンの50ml座薬を処方された事もあります。そんな事をしても無駄なのは今の私なら分かりますが、当時は言われるままに使用した事もあります。勿論効きませんでした。そしてその先生に「これで効かないならもう神経ブロックしかない」と言われ、こんな年齢で神経ブロックを日常的になんかやれるわけがない、と一気にその先生への信頼が醒めていった事をはっきり覚えています。

 

頼れるのは「頭の柔らかい専門家」

 幸いにして私の友人には医療関係の会社にお勤めしていて、薬剤や学界の論文発表に詳しい人がいます。その人がとある頭痛の専門家を教えてくれたのです。その方は大変熱心に頭痛の治療に取り組んでおられる方で、メールによる無償の頭痛相談も受け付けておいででした。藁にも縋る思いでその先生に今までの経緯をメールし、そして残念ながらその先生の病院は私が通院するには遠すぎるので、どこかよい治療をして下さるところはないものか、ご相談申しあげました。その先生が紹介して下さったのが慶應の鈴木先生だった、という訳です。鈴木先生もまた、ご紹介下さった先生同様、最前線で頭痛の治療の為にありとあらゆる事を意欲的に試す先生で、そして何より、患者の心に寄り添って下さる先生でした。天気によって辛い、食べ物によって辛い、謂わばお医者様からしたら根拠のない気のせいと笑ってしまっても良いような事も、まともな先生であればちゃんと取り合って下さるのだとその時初めて私はそういう先生に出会えたのでした。

 一番の目的は頭痛という患者さんの苦痛を取り除く事、当たり前のようですが、本当にそれを体現して下さる専門家というのは思うより少なかったりする物です。私のドクターショッピング歴がそれを裏付けています。そして本当に「いいお医者様」「優秀な医師」というのは、無駄な思いこみ、先入観、偏見とは無縁の人のことを言うのだと思います。片頭痛の予防薬には主に心臓の治療で使用される物、精神科・心療内科で鬱の治療に使われる物などがあります。何に効く薬はこれ、ではなく、効いたのだから試せ、という、ある意味ちょっと無謀かも知れませんが、少しでもこの苦痛が緩和される可能性があるならギャンブルでもいい、という患者がいる事もまた事実なのです。なにせ私もそうですから。

 ですからどうか皆さんも、何かの体の不調があってそれが本当に辛い物だったら、まず専門家を頼る事を考えて頂けたらと思います。悩み苦しむことで無為に費やしてしまう時間や、それによって余計に酷くしてしまうケースもあるので、躊躇いなくお医者様にかかって下さい。但し、これだけは言えます。医者と言えども全能ではありません。それを理解した上で過度な期待と依存をせず、対峙するのが一番楽な患者としてのあり方だと思います。

 

自分の体との付き合い方

 長い片頭痛歴を持つ私でも、去年の症状はちょっと異常だったと思います。元々365日で頭痛がないのは5日とか言っている私ですら、経験した事のない異様な症状の連続に、心身共に痛めつけられ参ってしまいましたし、症状が重すぎて物理的に会社に出る事が不可能になり、現場に迷惑を掛けるのも心苦しく、7月一杯で派遣で勤めていた現場を辞めました。それ以降ずっと引きこもりを続けている訳ですが、実は夏を越したらすぐにでも快方へ向かうだろう位に思っていたのです。毎年梅雨時から陽射しのきつい夏場が片頭痛の最悪の時期で、だから今年はそれが少し極端なだけ、だから過ぎて軽くなるまで少し休んで、軽くなったら就活しよう、と思っていたのですが、結果、秋になったら症状は更に悪化しました。なまじそれまでに秋に回復することを経験してきて期待していた分その悪化に心がもうばっきりと折れてしまい、心身共に大変に酷い落ち込み方を経験しました。

 本当は、会社に出られるようにする為に何年も頭痛薬の濫用を続けており、私の頭痛は既に片頭痛ではなく薬害性に移行しているのではないかと、はっきり自分でも認めたのがその時期です。普通の生活を送る為に、この年齢として当たり前の社会人をやる為に、それはあくまで薬を使えば出来るのだと、多分私は信じていたかったのだと思います。そしてその無理が、症状を悪い方へと拗らせてしまう結果となったのだとも思います。

 腹を括ってもうこういう自分を認めるしかなくなって、だから就活だとかなんだとか考えるのを一時保留して、治療に専念すると決め、慶應に再度お世話になる事にしたのが昨年の10月でした。以来ずっと先の見えない療養生活をしています。

 この「先の見えない」というのがまた曲者で、この期に及んでまだ私はフルタイムの職場に復帰できるようになるのはいつだろう、なんて思っていたのですけれど、私の状態をずっと近くで見てきてくれている親友が、「そう考えること自体がもう無理の始まりだよ」というのを教えてくれました。何とか「普通」でいたい、「普通」ができないのは逃げや甘えではないのかとジタバタ足掻く私がいることを、さらりと彼女は教えてくれました。

 前述の通り我が家の家庭の状況はちょっと一般的とは言い難いので、余計に「普通」を標榜する嫌いが私にはあります。それ自体には自覚があったのですが、自分の躰について、納得しているつもりがどこかにあったので、その納得はちょっと足りていないよ、という指摘はまさに盲点でした。

 日常生活を今まで送っていたように送るのにはもう私の体では無理があるのだと、彼女に指摘されて今やっと私は心からそれを納得出来ていると思います。辛い事ですが、それは仕方のない事でもあります。人が必ず老いるように、出来ていた事が出来なくなる事なんて普通にある訳で、まして無理に無理を重ねてやってきていたことは、いずれ限界を迎えて出来なくなる日がくるなんて、当たり前の事ですよね。だから、それをきちんと一度納得して受け容れないと、建設的な将来への思考なんて出来る訳がありません。彼女には、本当に感謝しています。

 ただとりあえず私も、その境地に至ったのが何しろこの数日の事なので、先行きをどうしようとか結論づけるにはまだまだ考える時間が足りていません。ただ、もうジタバタ足掻くのはやめよう、身の丈で出来る事をだけ考えようとは思っています。結果引きこもり続行なわけですが、それを怠惰だとか甘えだとか酷く自罰的に捉える事はもうしません。実際怠惰で甘えかも知れませんが、それで自分を責めても今の私に出来る事はない上にちっとも建設的ではないので、それはそれとして括弧でくくって横に置いておく事にします。

 良く言われる事で、もの凄く当たり前の事のようですが、身の丈を知るって言うのは本当に難しいことですね。