浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

永遠の清ら凶つ姫

ファッション通信の再放送を録画しました

 友達が「山口小夜子特集の再放送やる」って教えてくれたので、丁度宝塚の為に録画環境も整っている今、HD画質で小夜子姫が録画できるということで何を置いても録らねばと、普段スカステにしか合わせないチャンネルを替えて録画しましたとも。

 で、録画したのを昨日観たんですけど、何度も呼吸を忘れました。BGMで何フレーズか、最初の劇場版である「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」から「謡」が使われていて、小夜子姫のイメージを損なわないセンスある選曲に拍手でした。何回も何回も巻き戻してスロー再生して一時停止しました。私にとって、この人以上に美しい人はこの世にいません。彼女ももうこの世にいない人ですけどそういうことでなく、空前絶後、小夜子姫の前に小夜子姫なく、小夜子姫の後にも小夜子姫なし、あれ以上美しい存在は私の過去現在未来通して有り得ないと思ってます。クレオパトラと小夜子姫なら小夜子姫の方が美しいに決まってます。私にとっては、ですけど。

 

「姫」といってもスウィートなプリンセスじゃありません

 私が山口小夜子様をどうしても「小夜子姫」と言ってしまう時に頭にあるのは、泉鏡花の描くこの世の物でない姫様方です。泉鏡花を題材にした辻村ジュサブローさんの姫様人形はみなどこか小夜子姫に似ていると思います。

 勿論「山口小夜子」という女性は生きた人間で、汗もかけば涙も流す、意志も感情もきちんと持った肉を伴った存在であると言うことは重々承知しています。けれど、小夜子姫であればその汗の一筋、涙の一滴ですら、彼女を飾る宝石のようにさえ見えました。

 どんな言葉も、どんな形容も彼女を言い表せる言葉なんかなくて、本気で小夜子姫を言葉で留めようとしたら、三島由紀夫川端康成大手拓次辺りを連れてこないとどうにもならないだろうと思います。昔小夜子姫が出した写真集(撮影者は横須賀功光)に色んな人がメッセージを寄せていたり、帯にキャッチフレーズが書いてあったりしましたが、どれもその写真集の全てを言い表せる言葉じゃなくて、唯一私が深く頷いたのは、宇崎竜童さんの「結婚は、しないでください」という簡素な一言でした。本当にその通り彼女はそういうプライベートをほぼ全く感じさせることのないままこの世を去りました。月から来た佳人が月に還ったと私達が信じていられる程に完璧に。

 

山口小夜子」が私の「小夜子姫」になったのは

 小学生、多分3年とか4年の時ですね。このブログのどこかで書いた記憶がありますけど、私の母は私が小学校を卒業するまで、長い休みになると私を母の実家に預けており、私は預けられている間、煩い大人の目も耳もない所でフリーダムにランダムに過ごしていた訳ですが、祖父母の家には、叔父がやっていた喫茶店から古くなった雑誌が物置に山積みになってたんですよね。少年週刊誌から青年誌、果てはプレイボーイからペントハウスまで各種取りそろえだったので、そんな山を崩していたせいで随分ませた子供になってしまった訳ですけど、生まれて初めて山口小夜子さんを観たのはその中の月刊プレイボーイのスチールだったと思います。今はどうだか知りませんけど、月刊プレイボーイって結構まともなスチールが載っていることがままありました。篠山紀信との初邂逅も確か月プレだった記憶があります。

 その小夜子姫は横須賀功光さんが撮った小夜子姫で、こんな、日本画から抜け出してきたような美しい人がこの世にいるのか、ということと、そのページには確か横須賀さんと小夜子姫のちょっとした対話が載っていて、こんな美しい人が普通の言葉を発するのかと二度吃驚した記憶があります。あのスチールを観た瞬間から、山口小夜子さんは私の「小夜子姫」になりました。

 丁度、時期を前後して石井隆さんの名美とも出逢っていますので、まぁどう考えてもろくな大人にならないというか、真っ当な子供はやれようもないのが道理ってもんです。

 

見果てぬ夢としての泉鏡花もの

 小夜子姫はモデルさんでありクリエイターでありデザイナーでしたから、朗読劇やダンスパフォーマンス的な舞台は踏んでおられますけれど、女優さんとしてのお仕事というお仕事は殆どなさっていません。鈴木清順監督のピストルオペラに出演なさってますけど、映画がちょっと……という感じでしたので、早送りして小夜子姫が出ているシーンしか私はまともに観ませんでした。

 ちゃんとしたお芝居としての舞台でなくてもいいから、泉鏡花ものをコンセプトスチールでもMVでもなんでもいいのでやって欲しかったです。個人的に一番観たかったのが海神別荘。共演者は嶋田久作さんで。この世の物でない人達ですから、そういう小夜子姫にヴィジュアルのインパクトで負けないで、かつ色気があるといえば嶋田久作さんしか私の脳味噌では思いつけません。や、勿論偏ってるのは承知の上です。私の殿方の好みの中に「人外系(人間っぽくない人)」というのががっつりあって、例えばクリストファー・リー様だったりボリス・カーロフだったり(フランケンメイクしてない時のボリス・カーロフってめっちゃ美形ですよ)、嶋田久作さんてそういう括りの中に入ってしまう人なので、イメージじゃなーい!と仰る泉鏡花ファンの方が多いのは承知の上です。

 小夜子姫にしたところで、山海塾とのコラボとか、結構アングラ、パンク、アバンギャルドなアングルも持っている方でしたので、ただただゴシックだの耽美だのだけでは済まない方ですけれど、一ファンの夢(妄想)として、あれだけ日本の美の粋のような完璧な存在がこの世に存在していたうちに、そういうどっぷり幽玄なただただ美しいコラボがあってくれていたらな、と思わずにはいられません。

 

「時よ止まれ、あなたは美しい」

 私の携帯の待ち受け画像はもう何年も前からずっと小夜子姫のままです。変える予定はありません。「山口小夜子」という存在は、「坂東玉三郎」という存在と同じように、二人といない特別な、固有名詞でありながら一般名詞でもあり得る、そんな存在だと思います。少なくとも私にとってはそうです。

 ゲーテファウストの中で、メフィストフェレスファウストの魂を手に入れる為に言わせようとする有名な科白ですが、日本語訳だと何に向かって「美しい」といっているのかちょっと判りづらいです。止まれ、とこれは命令形ですが、命令している対象は今この時その瞬間です。言い換えるとこの言葉は「この美しい一瞬が永遠に留まってくれたらいいのに」ということです。流れ去っていく時に、止まれ、お前(流れ去ろうとしている時)は美しい、という意味になります。

 私は小夜子姫を写真なり映像なりで観る時、いつもこの言葉を思い起こしていました。彼女の時を止めて、この至上に美しい人の時を何故留めておけないのか、と。(もう一人だけ私がそう思ったことのある人は全然畑違いのリカルド・ロペスです) そして彼女にこそ「あなたは美しい」と心から何度でも言いたいと思っていました。いえ、過去形ではなく、今でも、多分この先もずっと、私は小夜子姫に幾度でもそう語りかけてしまうと思います。

 小さい頃の刷り込みは一生に影響するっていいますけど、初めて見たポートレートというか、ちゃんとしたスチールが小夜子姫で一生それに囚われて生きるなら本望ですねぇ。

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