名伯楽と言われた人達─ボクシング編─
何故か急に
そんな話がしたくなったので、思いついた所からつらつら書いていきます。
私がボクシングをガッツリ見ていた時期が結構昔の話なので、どうしてもその辺に偏りが出ますけれど、一応誰に言っても文句は出なさそうな「名伯楽」をチョイスしてみました。
カス・ダマト
この人がチャンピオンにした人といえば、フロイド・パターソンやロッキー・グラジアーノなどがぱっと思い浮かぶかと思いますが、やはり一番印象深いのは晩年のマイク・タイソンの事だと思います。
スラム街に育ち荒んだ心で少年院に入っていたマイク・タイソンが、カス・ダマトと出会い、まるで砂漠に水が染みこんでいくように、ボクシングを通して人としての情や信頼を取り戻していく姿は、やはりみているこちらにも劇的に変化が通じてくる感動的な交流でした。
ただ、タイソンの持っているとてつもないボクサーとしてのポテンシャル、才能にカス・ダマトが惚れ込みすぎて、若干彼をボクシング以外の所でスポイルしてしまったきらいはあるのかな、と後になると思います。
それまで育ったスラム街を離れ、一人慣れない高級住宅地に住まわされたタイソンは、友達と引き離された寂しさから時折屋敷を抜け出してスラムに遊びに行っていたともいいます。
しかし、どれだけカス・ダマトがボクサーとしてのタイソンにとって、バックボーンであり全幅の信頼を寄せる相手であったのかというのは、当時のタイソンの言動からもうかがい知ることが出来ますし、なによりも、彼を失った後のタイソンの変化によって、強烈にそして痛い程私たちは思い知ることになります。
彼亡き後、カス・ダマトが生きてさえいてくれたら、と何度私たちは思うことになったでしょう。あたらあれだけの才能が、目の前で無残にも衰え、周囲には搾取され、心がどんどん荒廃していく様は、とても見ていられる物ではありませんでした。
世界最重量級のチャンピオンベルトを幾つも持っていたマイク・タイソンが、そこらに落ちていたら「鍋かおでんでも食べようか」といって拾って行きたくなる程に、寄る辺ない、頑是無い、幼気な子供のようにも見えた物です。
今のタイソンに至ってはとても正視に耐えるものではありません。タイソンに一人でも真の友人がいたら、と思わずにはいられませんでした。問題のホリフィールド戦のあと、彼に必要なのは友達だ、そして私にはいつでもその準備はあるよ、と言ったのがジョージ・フォアマンと当のホリフィールド、共に敬虔なクリスチャンだったのが印象的でした。
カス・ダマトは本当に偉大な人でしたが、タイソンにボクシング以外の支えを作ってあげるには、関わった時間が短すぎたのか、そこまでカス・ダマトの気持ちが及ばなかったのか、タイソンの人間不信が深くなりすぎてしまったのか、いずれにしても、偉大なるチャンピオンだった人を作った人が、彼亡き後のタイソンの姿を知らずにいてくれて幸いだと言うほかありません。彼の死がその引き金であったのですから。
ナチョ・ベリスタイン
この人の門下生と言えばなんといってもダニエル・サラゴサやオスカー・デ・ラ・ホーヤでしょうが、門下生としては比較的歴の浅いリカルド・ロペスにここは敢えて言及したいです、ファンの身びいきとして(笑)
私は兎に角リカルド・ロペスのファンですので、ダイジェスト含めてではありますが彼の試合の殆どは恐らく見ていると思います。ずっと見てきたからこそ、セコンドにベリスタインがつくようになってからの変化というのに本当に驚きました。
それまでですら私はリカルド・ロペスのボクシングスタイルはほぼ完璧に近い、という風に思っていました。過剰なまでにディフェンスに拘る辺り、ひょっとして打たれ弱いのかなという気はしないでもなかったですが、なにせ余り倒れた所を見たこともありませんでしたし、推測の域を出ないお話でした。
ですが、リカルド・ロペスは己に足りない物がある、と思ったからこそベリスタインの門を叩いたのでしょうし、そこで、完璧とも思われていたロペスのボクシングに即座に孔を見つけて、そこはこうしたらいいよと言える、それがぱっと見て判り指導が出来るベリスタインの凄さに心底吃驚しました。
勿論それまでに排出している門下生を見れば名伯楽なのは周知の事実でしたが、「あ、そこか!」とベリスタインがついてから、私がみていて分かる位にロペスの変化は大きかったです。
具体的には上半身の使い方ですね。それまでのロペスの構えはかなり半身に構え左手を前に出すことで、ジャブの伸びや距離感を相手に掴ませないということと、ステップワークで常に体の位置を動かしている、というものでしたが、ステップワークだけで頭の位置を動かすということは、ある意味棒立ち、頭の高さは変わっていない訳ですよね。ベリスタインは恐らくその点を指摘したのだと思います。
ベリスタイン門下生となってからのリカルド・ロペスは、それまでのスタイルに加え、上半身を柔らかく使い、上下、前後にも頭の位置を変えるボディワークが加わって、相手にしたら益々距離感が掴みづらく、クリーンヒットがし辛くなったと思います。
完璧と言われる人が更なる高みを目指すことも、その完璧と言われた人の孔を即座に見つけられるトレーナー、どちらの凄みも感じた出来事でした。
エディ・タウンゼント
この人が育てたチャンピオンも多いですけれど、最後の井岡君との関係が、こんなの漫画やドラマでやったら嘘くさいって言われちゃうよ、と言う位ドラマティックすぎてしまって、中々エディさんの教えの凄さについて語りづらいのですけれど、出来るだけ井岡君とのドラマはそれはそれとして話を進めようかと思います。
あぁあと、カシアス内藤に関しては、沢木耕太郎さんが内藤純一への思い入れたっぷりに素晴らしい本を書いて下さってしまっているので、エディさんに関してエディさんサイドからしたらそういう事じゃなかったと思うんだけどな、という記述を含んでいたりもするので、ちょっと書きづらいですね。
しかし私はもの凄くエディ・タウンゼントという人が好きで好きでしょうがないので、頑張って彼の魅力を語ってみたいと思います。
この人は明確に褒めて伸ばすタイプの指導者でしょう。ベリスタインのように孔を見つけてそれを塞ぐというよりは、良い所を伸ばして兎に角褒めてあげながら、対戦相手の事もしっかり把握して出来るだけ欠点が試合に出ないように修正していくタイプなんじゃないかなと思います。だけに、エディさんの生徒になると本当に自信が付く、自分が本当にチャンピオンになれるんじゃないか、と思えるようになる、とどなたかが仰ってました。但し、褒める時は思いっきり褒めてくれるけど駄目な時にはがんがん怒鳴られっぱなしだった、という井岡君の証言もあります。
セコンドに着いた時の駆け引き、選手のモチベーションの上げ方も独特で、その選手一人一人にあった鼓舞であったりアドバイスであったりをカタコトの日本語でスパン!と注入する、という感じでした。日頃の練習風景は私なんかには見られませんけど、セコンドに付いている時にはTVに映ってることも多くて、おお、なんか凄いな、と思った記憶があります。
よくエディさんは「ハートのラブ」で教えるのであって、竹刀で恫喝するようなスパルタで選手は伸びないよ、とうようなことを仰っていたそうです。だから、以前私がここでちらっと書きましたけど、「ディフェンスちゃんとして、自分の体を大切な家族にちゃんと返してあげなさい」というような事もよく仰っていたそうです。なので、劣勢でもうどうしようもない時にタオルを入れるのは早い人だったそうです。「ボクシングやる時間よりその後の人生の方が遙かに長いのだから」と。
よくエディさん門下生として赤井英和がTVで何か語ってたりしますけど、ちょっとばかりそれは頂けないなと私なんかは思っています。エディさんが教えるようになってからの赤井英和は、既にある程度の戦績を残し、ファンも付いて、謂わばちやほやされるようになってからの時期です。ですから地味な基礎トレーニングを嫌がったりサボったりということもあったらしく、エディさんが「赤井とは(スポイルされてしまう前に)もっと早くに会いたかった」と言っていたという今は亡き津田会長の証言があります。
どんな生徒にもつねに「ハートのラブ」で接したエディさんですから、門下生に「誰が一番エディさんに愛されていたか」と尋ねたら全員が「自分が一番愛されていた」と答えたなんていうエピソードもあります。
ボクシング素人の私のような人間にまで伝わってくるエディ・タウンゼントという人の魅力は、名伯楽であるなし以前に、その人柄の暖かさであったり、残した言葉のストレートに胸に入ってくる感じなのかもしれません。
劇団ing(イング)という所が、「EDDIE」というタイトルでエディさんの人生のほんの一部分ですけれど、お芝居にして上演し続けています。私は偶々地元の区民ホール的な所で、エディさんの何回忌だかのタイミングで行われたエディさんを偲ぶ会的な催し物の際に、写真展示とそのお芝居を観ましたが、本当にそれは僥倖だったらしく、劇団ingに再演はないのかという問い合わせの電話をしたことがあるのですが、基本的に小中学校とかの「舞台鑑賞」とかどこかの施設の依頼があってとか、そういう催しでしか今は上演していないのだそうです。見られて本当にラッキーでした。
名伯楽と言われる人に目が行くのは
多分私の職人好きとか裏方魂なのだと思います。バスケットボールの世界で一番好きな人を上げろと言われたら瞬時にフィル・ジャクソンと答えますし、愛する西武ライオンズだって、森西武の時が一番好きでした。森監督の、絶対に選手のせいにしない所、選手より前には出ようともしない所、好きな文字は心の上に刀を乗せる「忍」、という徹底した哲学が本当に好きで、幾ら「勝つ為だけのつまらん野球」と揶揄されようとも、送りバント上等、敬遠上等でした。
極真にしても、盧山師範にせよ、杉村太一郎師範にせよ、引退してからの方が明確に好きですね。選手としてどうこうというより、あれはあれなりに「道」なので、終わりのある物ではありませんから、体力が衰えて試合に出られなくなった人達のその後の研鑽によってとぎすまされていく、ぎらっとした物の方が魅力的に映りました。
名選手が必ずしも名指導者にならないように、逆もまた然りで、選手としてはそこまでではなくとも、指導者としての方が凄い方というのも必ずいて、私は多分そういう人が大好きなのだと思います。一選手が凄いというのはその選手限りですが、指導者が凄ければそこから名選手は数多産まれる訳ですから。