浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

泣くに泣けない(物理)

喜怒哀楽は激しいです。

 ネガティブにもポジティブにも、振れる時には思いっきり振り切るタイプなので、雪なのに頭が痛くないと言っては大はしゃぎしてみたり、大ファンだった選手が引退する時にはもうハンドタオルじゃ足りない位だーだー大泣きしてみたり、上手に塗れたとご満悦だったネイルが乾く前にヨレてしまったりして一日中どよ~~んとしょんぼりしていたり、里親詐欺で猫を虐待して殺した輩がいると知って目の前真っ赤になる位怒り狂ってみたり、偶に母親に「疲れないの?」と呆れられる程に感情の振り幅は大きいです。

 一つには、私の性格のもの凄く大きな特徴である「独占欲や執着心が強い」という要因があると思います。何事につけ、共感というか共振しやすいんですね。他人事でも我がことのように心を一緒に動かしてしまうので、自分のことでは全然ないことで泣いたり笑ったりを過剰にするのだと思います。

 そういう己の思いこみの激しさは嫌と言う程知っているので、そのせいで視界が狭まって誰かを傷つけることのないよう、昔に比べたら随分と己の言動をコントロールするようになりました。若い頃なんかは野放図にダダモレっぱなしでしたので、さぞかし騒々しくそして刺々しい人間だったろうと思います。基本は変わっていないでしょうが、流石にいい歳をして丸くなったのが体型だけじゃお粗末すぎますから、当たりが柔らかく、丸くなったと言われる機会も増えました。

 特に気を付けているのが「義憤」という奴で、他人事に共感して怒り狂うのはまだしも、どっちが正義だの何だのと言い出すのは非常に危険なことであり、多大に人に影響を及ぼすということを私は嫌と言う程身を以て知っているので、基本的に好き嫌いでしか物は言わないですし、判断も正しい正しくないではなく好悪でしかしないようにしています。

 

基礎的な感性は大変に大雑把で単純です

 勧善懲悪が普通に好きだったり、人死にとか動物とか出されるともう一発で号泣とか、そういった意味では繊細さの欠片もありませんが、極端に駄目とか極端にいやとか、そういうエリアについては意外と過敏だったりもします。先述の通り共振力(共感、というとちょっといやらしいので共振としておきます)が過剰なのが多分、外的刺激に過剰に反応する原因ではと思います。例えばジブリの「もののけ姫」、大好きなんですけどもう一回見直したいかと言われるとちょっと辛いです。人としてじゃあお前はどう生きるのかと突きつけられる事って苦しくないですか?私は自分が惰弱な人間であることを熟知しているので、あれはとても辛い映画です。あれは実家にいた時よく義父がリビングで平気で何度もビデオを観ていましたが、その度そっと席を外しました。彼には理由は分からなかったでしょうし、多分理由を薄々判っていそうな母も彼に説明はしなかったでしょう。

 泣く所とか笑う所とか痛い所かは、人によって違うものですし、どこか一箇所が過敏だからといって全体に繊細な人間であるとも限りませんし、逆もまた然りで、だから己のそういう危険なエリアに踏み込む時には、一人で行くのでなければ絶対にその点の感性の合致的に大丈夫な人としか出向きません。

 とはいうものの、本当に基本は単純なので「こんな見え見えのお涙頂戴で…」と呆れられる位簡単によく泣きます。

 

セロトニンとかいう大敵

 しかし、残念なことに私は大変に良く泣く人間ですが、その分だけ泣くことをもの凄く堪えなければ行けない人間でもあります。何故なら、私が身の内に飼っている片頭痛という厄介者は、人の涙を餌にする奴だからです。普通の人でも「泣いたら頭が痛くなった」という経験はおありかと思いますが、私の場合一筋二筋涙が頬を伝った程度のことで速攻頭が痛くなります。

 私は全く理系の人間ではないので、以前理系の友達が噛み砕いて説明してくれたことも朧気にしか理解していないのですが、どうも泣くと「セロトニン」という人の心地よさを司るような脳内物質が出るんだそうです。泣くとスッキリするのはどうやらそのせいらしいです。ただ、セロトニンにはセロトニン受容体という人がいるらしく、それぞれがちゃんとぴったりはまらないといかんことになるようです。で、私のような片頭痛持ちはセロトニンだかその受容体だかの分泌が正常じゃないかなんか、たしかそんなようなことだったかと記憶しているのですが曖昧ですみません。気になった方はどうか調べてみて下さい。

 いずれにせよ、そのセロトニンとやらいう輩のお陰様で、私は好きな時に好きなだけ泣くことすら、頭痛を覚悟し薬を消費する決意なしにはできないのです。

 だからって、そんな簡単に涙なんて引っ込めたりできないじゃないですか、特に感情の振り幅が大きい人間には。だからさっきもスカステ(宝塚専門チャンネルです。我が家のTV契約ではうちのテレビはスカステしか写らない仕様です)をちゃんとではなく横目と横耳でちらちら見聞きして、「ううっ、なんて可哀相なお話」とかティッシュの箱を抱えておりました。案の定今すっごい頭痛いです。こういうのは完全に片頭痛なので、ロキソニン飲んでも効かないのはわかってるんですけど、ゾーミッグは出来るだけ消費しないように心がけている昨今ですので、気休めでロキソニンを飲んで、後は眠ってしまおうと思っています。

 

抑制自体がストレスだったりします

 感情の振り幅が大きい自覚がたっぷりある身としては、ネガティブな感情は表向き出さないようにする位の常識は勿論持ち合わせていますけど、一人の時に悲しいお話を読んだりしてがーーっと泣いてすっきり!とか、そういうことさえ出来ないというのは実に辛いことです。頭痛を警戒して、見たいお話をスルーしたり興味のある物を素通りすることさえしなければならない時もあります(主に薬の量に余裕がない時ですね)。

 こういう風に生まれついてしまった事についてはある種の諦念はきちんと持ち合わせていますが、それにしても時折、泣きたい時に好きなだけ泣けたらどれだけ楽だろうと思うこともあります。

 ですが、幸いなことに私には歌があって、歌っている時だけはどんなになにがあろうとも辛くはありません。歌ってさえいれば幸せです。泣いて発散できない分を、多分私は歌で発散している部分もあるのでしょう。ですから歌っていられる間だけは、物理的に泣くに泣けない、泣くとなったら多大な出費(金銭的な意味だけではなく)を強いられる今の自分の躰を、諦めて受け容れていられるのだと思います。そういう物があって本当にラッキーでした。

 この世の頭痛持ちの方には、私と同じストレスを抱えておられる方は沢山いらっしゃると思います。そういう方達にがーっと泣いて発散する以外の、心地よい発散法があればいいなと本当に思います。泣きたい時に泣けないのって、やっぱり辛いです。