浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

愛猫の命日

心身不調で大分空いてしまいました

 一因は1/23愛猫の命日が近かったことですね。親友なんかは覚えてて気にしてくれてるんですが、1月の私の揺れ方はちょっと尋常じゃなかったりします。大丈夫な時は大丈夫なんですけど、何か事があってグラっとくると立て直しが難しいというか。もうなくなって9年にはなってる筈なんですけどね。2005年の1月23日ですから。

 昨日も母と「命日のお供え」についての見解の相違で険悪になり、だーだー泣いて布団被ってました。温度差が違うのもわかってますし、この場合気狂いなのは私の方なので世間様一般から観たら「なにそれ」って話かとは思うんですけど、あの子に関してはちょっと思い入れが尋常じゃないのです。

 

猫は沢山飼ってきましたが

 私の家は、私が産まれた時から猫がいなかったことというのが一度もありません。母が好きだったので飼っていた為、幼い頃の私の子守りは専ら猫の担当でした。ベージュがかったペルシャのチャリー、同じくペルシャでグレーで純血種のラブ、一時期うちに置いていた物の都会暮らしに馴染めずに祖母の所に里子に出したシェリー(名付け親は私です)、そのシェリーの姉妹でチンチラペルシャミックス(つまり雑種)のシャーリィ、ほんの一時期だけ私が拾ってきて面倒を見ていて里子に出したカイル、シャーリィが死んでボランティアさんから今度は二匹でっていって貰ってきたのが真空(まそら)と深海(みうみ)、その間オーストラリアだ大阪だに行っていた両親が飼っていて、今実家にいるカイル(昔アタシが拾いっ子につけた名前の使い回しです)、そしてうちから預けたシェリーが身罷った後祖母が飼っていたのが、祖母が半分認知症入り始めて買えなくなり、家に一時期引き取って里子に出したシェリー(襲名)と、思い出したらホントに一杯色んな子がいました。

 

お兄ちゃんから愛人

 中で一番私とがっつり関係があったのはラブ→シャーリィ→深海・真空ですね。それぞれの子とはそれぞれの対峙の仕方がありましたが、同じ飼い猫と言っても感触は全然違います。

 ラブはこんな名前ですけど男の子で(命名は幼かりし頃の私です)、母の恋人で私のお兄ちゃんっていう感じでした。猫はあれで案外目下の者には面倒見が良いので、こいつは自分の守るべき対象だと思うとそれなりの扱いをしてくれます。私が母に怒られていると間に入ってきて庇ってくれて、母が怒るに怒れなくなるなんてことはしょっちゅうでした。純血種でしたから体の弱い子でちょっちゅう病院のお世話になってはいましたけど、我が家の最長寿(17歳)で身罷りました。

 シャーリィは、当初母義父私と三人で生活している所にいたのですが、彼等が生活の拠点を義父の仕事の都合で大阪に移し、その後一年イングランドやオーストラリアにも住んでいましたから、実家で一人暮らしという気ままな私の相棒であり愛人でした。当時私は会社勤めでしたから、今まで母が昼間いたものがいなくなり構って貰える時間が減ったせいなんでしょうね、私がいる時には兎に角構って貰おうと必死で、甘ったれのワガママになってしまい、それをまた私が助長するもんですから、亡くなるまでの数年間は本当にお互いべったりでした。

 ある朝ふと目覚めるとシャーリィの姿がなく、探したら母達のベッドで眠っていて、様子が変だと思った時には既に自分で体を動かすこと自体出来なくなっていました。丁度その日、私の後輩達が我が家に集まる予定で、人に懐かないシャーリィが唯一懐いていた後輩が来る予定だったんですよね。

 虫が知らせたのか、本当は外で会う予定だったのですけど、そのシャーリィが懐いていた子が「久しぶりにシャーリィの顔がみたい」なんて珍しいことを言い出して我が家集合となった日でした。

 午前中に不調が判り彼等に連絡して、それでも彼等は来てくれて、病院へ行く私に付き添ってくれたり、お留守番をしていてくれたり、本当に大変助かりました。あの日あれを一人で乗りきらなければいけなかったとしたら、私はもっと辛い思いをしたと思います。送り雪の舞う中、大好きな人に看取られて、ある意味良い最後だったと思います。我慢強く症状を訴えることも何もなく、介護という介護を私に全くさせないまま、見事な愛人人生を全うした子が、亡くなったのが2005年の今日です。

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随分細かった頃の私ですねぇ…

 

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 最近はペットを火葬してくれる業者さんって色々あるんですね。半日お預けしたらあの子は骨になって帰ってきました。連れて行かれる時には「この子は私の何だから嫌だ」と泣いて暴れて後輩に手をかけさせてしまいましたが、それでもなんとか焼いてお骨にすることができまして、それは今でも実家にあります。

 その後もの凄い酷いペットロスに陥り、流石にこの、お互いにお互いしかいないみたいな癒着の仕方はまずいだろうということで、次に飼う時は二匹、というのは前々から思っていたのですが、その時に確信しました。猫同志で仲良くして置いて貰えば、飼い主との関係ってその分希薄になりますもんね。

 

娘達

 娘達と出会ったのは里親捜しのボランティアさんに「横浜に12匹同時に引き取られた2ヶ月くらいの子達がいるけど見に来ないか」と言われて、鶴見まで出かけていった先でのことです。引き取られた日が雨だったそうで、全員風邪を引いており、ほぼ治ったゲージ、まだちょっと悪いケージ、まだ重篤ケージと三つに分かれている中で、左の二つのケージから選んで下さいねって言われて、最初に目に付いたのが真空でした。全員白黒か三毛の中で唯一のキジトラって言うのが目立ったのもあるのですが、何匹もみちみちと詰め込まれたケージの中で、常に一番下に踏みやられていてお目々がうるうるでぴるぴるしていて、私はそういう幼気なものに大層弱いので、この子!とまず真空が決まりました。深海がどうして深海だったのかは未だに判りません。目があったのか柄が気に入ったのか…でも引き取ってきて自分ちの猫になってしまえば、「ウチの子が世界一可愛い!」なのが当たり前なので、最早理由を考えるだけ多分無駄ですね。

 その時面倒をみていた獣医さんには、最初に引き込んだ風邪のせいで、この子達の風邪の因子はずっと抜けないから、というのは言われました。つまり要因は常にあって顕在化するかどうかっていうことですね。真空はあんなにぴるぴるしていた癖に案外体は丈夫ですが、深海は割とやっぱり弱くて、皮膚のアレルギーがあって首輪が出来なかったり(していた当時の後は未だに毛が抜けてるままです)、しょっちゅうけほけほ咳をしていたり、涙目で目やにがひどくなったりして飼い主を慌てさせます。わかってて引き取ってるんですから私も鷹揚に構えていればいいんでしょうけど、「猫は猫っかわいがりする為に飼うもんだ」と豪語している甘やかしぃですから、ちょっとでもなんかあるとすぐドキドキして「大丈夫?大丈夫?」とオロオロしてしまいます。

 目の前で心臓マッサージされながら死んでいったシャーリィのことをどうしても思い出すからっていうのはあるでしょうね。ラブが小さい頃からずっとお世話になっている獣医さんなんですけど、娘達のワクチンに言った時とかもフラッシュバック起こしてあわや過呼吸かって状態でしたから。今はもう大分おちついてそんなこともなくなりましたけど。

 

犬派か猫派かといわれると

 まぁ間違いなく猫派なんですが、犬も決して嫌いではありません。母の実家では昔飼ってて、共に育った盟友もいましたしね。ただ、犬の辛い所は飼い主に全て委ねきって「あなたが全てです」っていうあの目ですね。右向けっていったら一日中でもそうしていられるあの健気さが、私はあなたの命を丸ごと預けられるようなご立派な人間じゃない、っていう気持ちになってしまうので、私には多分犬の飼い主は向きません。余所様の犬を構い倒す位が丁度良いです。猫だと放っておいても好き勝手してるので、あっちもフィフティこっちもフィフティで済む部分も多いですけれども。といいつつ甘やかしすぎ何ですけどね、私。

 ここ数日色々あって実家には行っていなかったんですが、流石に命日に顔を出さないとかシャーリィに超怒られそうなので色々は括弧でくくって横に置いといて、とりあえず顔は出してくる所存です。