浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

7泊8日の入院より無事生還 ※編集追記

土日を挟んでしまったので

 本当は6泊7日で良かった所を術前に一日余分に泊まることになっちゃいましたが、取りあえず無事に入院して退院して参りました。

 今回は前回の掻爬(躰の開口部から内部を掻き出す)と違って、子宮&卵管全摘でしたから、お臍に孔を開け内視鏡を入れて、それで内部を見ながらお腹に三箇所開けた5mmから7mm程度の孔から電子メスを入れて、慎重に子宮と卵管を躰にくっつけている部分を切り離し、膣から引っ張り出すという術式でしたので、開腹手術よりは遙かに躰にダメージが少なく傷の治りも早い、との事前の説明通り、手術の晩こそ熱を出し痛みに苦しみはしましたが、その後は早期離床&歩くことが血栓を防ぐ最上の方法と言われ、看護師さんと歩く練習をしてみて、あ、意外と行けるなという感じで、とんとん拍子に一人で歩けるようになりました。階段の上り下りも自宅の3階位までなら問題なく登れましたし。

 留守中心掛かりでならなかったのがお留守番をさせている娘達のことで、勿論母に朝晩餌やりとトイレの世話と、真空の好物のマタタビを一日一回あげてねと頼んではありましたが、何しろ1週間もの留守を私がしたことがないので、母曰く5日目位から完全にぶんむくれモードに入って、母が顔を出しても呼んでもうんでもすんでもなく、真空もマタタビに釣られることもなく、深海に至ってはフカー!とかやらかしてたらしいです。

 帰ってきて顔を見て、散々拗ねたり怒られたりしましたが、手足を伸ばして安心して寝ている娘達を見るにつけ、ホントにほっとしました。猫を家に置いて長時間外に出るというのはやはり生活習慣にないので、そのことばかりが気になってしまって、猫達よりも寧ろ私自身の方が参ってしまいます。私の精神安定の為にも、娘達に余計な心配やストレスを与えてはいけないとつくづく痛感しました。

 

結局卵巣温存は無理でした

 手術直前の家族同伴説明で、現状「子宮内膜増殖症異型複雑型(癌の手前)」という所見であるけれども、腺癌が発見される可能性があり、その場合卵巣をどうするか、という最終的な意思確認をされました。異型増殖症のみであれば両卵巣温存、腺癌があり、それが周囲の筋肉へ浸潤していない場合は片方残す(卵巣癌の危険は5%程度残りますが、両卵巣を摘出した場合のホルモンバランスの崩れ、更年期症状様症状を80%程度は回避できる)、腺癌が筋肉へ浸潤していた場合両卵巣切除、という風に私は意思表明をしておきました。

 慶應は基本温存両方をとらない、何かあればすぐ切除と思った方が良い、という事前の情報通り、基本病棟で決められているガイドラインがあるのだそうです。グレード幾つだったらどこまで切除するとか、そういう細かい取り決めがあるのだ、と術後説明の時に執刀医に教えて貰いました。

 私は本当に偶然初診でその先生に当たっただけで事前に知っていた訳でも何でもないのですが、看護師さん達や他の若い医師達や待合室の患者さん達までが、「ああ、○○先生なら安心だね」と口を揃えて言う位(その先生に担当して欲しくて態々遠方からいらっしゃる方もいるらしいです)手術や処置の上手な先生で、お人柄も温かく、術前術後の説明もとても丁寧に色々お話して下さいます。

 その中で、摘出した子宮に腺癌が発見され、即検体が回された術中病理検査からは「筋肉への浸潤あり」と上がってきたと伺いました。実際に執刀医は自分で病理まで行って顕微鏡を見てきて下さったそうです。浸潤は確かにあるのだけれど、その癌細胞が筋肉の内側に通る道筋の中にまであるのか、波打つように筋肉に潜り込んでいる隆起の中だけで済んでいる事なのかどうかは、顕微鏡で見てもギリギリ判断が付かなかった位だったそうです。

 いずれにせよ、浸潤が見つかった時点で卵巣両除去はやむを得ない処置です。事前に私もそれには納得して同意している訳ですし。ただ、リンパ節の郭溝(恐らく切除と似たような意味だと思いますが医学用語でしたので詳しくは判りません)をするかしないかは、今度は時間をかけて検体を隅から隅まで細かく調べる病理検査の結果を見てみないと、その必要があると判断されるかないかはわからない、ということで、現在リンパ節の切除はしていません。

 本来であれば浸潤が認められるケースであればリンパ節の郭溝までが病棟のガイドラインには定められているそうですが、実際に執刀医が顕微鏡で浸潤を見て、これはリンパ節の切除が必要ない可能性がなくもない、そうしたら後々に付随するリスクを背負ってリンパ節を取っても取っただけ損ということになってしまうので、そちらは執刀医の判断で残したそうです。私が出来れば卵巣の温存を希望していた事もあり、卵巣は苦渋の決断で取らざるを得なかったけれど、なんとか温存できる物は、という先生の判断をとても有り難く感じています。

 ちなみに、浸潤の報告がが病理から上がってきたのは、子宮と卵管を躰から切り離して膣から摘出し、かつて子宮口があった部分の膣を縫い終わってからの事で、両卵巣は内視鏡を入れていたお臍から摘出したそうです。あんな小さな孔から良くそんなことができるなぁと、普通に「先生すげー」と思いました。

 卵巣の温存が無理だったことは私にとっては凹む出来事でしたが(人より10年早く更年期障害や何やらに悩まされる訳ですから)、既に癌化しているもの、しかも普通にしていれば大概見つかりにくい物が体内にあり、それが非常に早期に発見出来た訳ですから、癌家系の一員としてはまずはラッキーだったとも思います。

 

術後の経過は非常に順調です

 一人で歩けるようになって、血栓ができたり飛んだりしないように精々病棟内や院内をウロウロして、二日目くらいには階段の上り下りにもチャレンジしましたが結構何とかなりましたし、術後5日目の今日辺りは、咳をするとか重い物を持つとか極端に躰を伸ばすとか、そういうイレギュラーな動きをしない限りは、もうお腹の傷の痛みは殆ど意識しないで済んでいます。勿論孔開けて縫ってテープ貼ってある訳ですから違和感はありますけれど、痛くて動けないとか、こういう事をすると痛むとかいう制限は随分減ってきました。

 試しにさっき家から駅前の薬局とケーキ屋さんに行ってきましたが、人混みは不用意に人にぶつかったり、予期せぬ何かが発生するのでそういうのが怖いという以外は、病院内みたいにきれいに平らじゃない道も坂道も、普通に歩くことが出来ます。

 この調子であれば、ベルカントは流石にまだ無理だと思いますが、吹雪師匠の方のレッスンには7月から普通に復帰できそうで、それも嬉しいことの一つです。

 

この先のことは病理検査の結果待ち

 さて、子宮卵管卵巣の摘出は終了しましたが、今回摘出した物を病理検査で微に入り細を穿ちして調べてからでないと、先の予定はたちません。例えば、まだリンパ節に癌細胞が残っていた場合、切除するのか、放射線治療をするのか、抗癌剤治療をするのか、残っていなかった場合今後どういうペースで通院したらよいのか、そういう事はとりあえず次回予約の一ヶ月先までお預けです。こればっかりは、何事もないことを祈りつつ待つのみですが、幸いといってはなんですが、来週の火曜日には今回の入院の為に慶應内連携の一環として受診した精神科の先生とのご相談により、慶應内で摂食障害的なものに一番強いと言われている先生の予約が入っています。

 幸いにして過食発作は入院前には出ませんでしたが、常に通奏低音のように「甘い物が食べたい」「甘い物が食べたい」という心の声はずーっとあった訳で、だからこそ退院後自分へのご褒美にショートケーキなんか買って食べた訳なんですけど、これと一体どうやって付き合っていけば良いのかというのは、どこから手を付けていいかわからない途方に暮れてしまう問題です。

 折角調整食で血糖もHbA1cも体重も落ちてきている訳ですから、この良い下り坂はキープしたいですし、その為に入院前に過食発作を起こさないよう普段は出ない安定剤を出していただいていた訳で、でもあくまでそれは入院を前提とした緊急措置であり、いつまでも頼れる物ではありません。必要ならカウンセリングも含めて、それから今までかかっていた心療内科と、予約取るのに二ヶ月とかかかる慶應の先生の、どちらにどう何をお願いしたら良いのかというご相談もしなくてはいけません。

 そういう事をしていたら、一ヶ月くらいはなんとか落ち着いて待てるのじゃないかなぁ、と自分に期待してみています。

 

今回とても有り難かったこと

 入院時に持ってきて下さい、と入院案内のパンフレットに書かれている物品の中に「液体石鹸」というのがありました。私は基本家では殆どの洗剤を石鹸で賄っているせっけにすとなので、「固形じゃいかんのか」とまず普通に思った所、友人Mが「いや、病院内で手早く固形石鹸を泡立てるのはかなり手間」というので、えー、でもそしたらシャンプー、ボディーソープ、洗顔フォームと幾つも必要になるじゃない?それは荷物になって嫌だなぁと言ったら、今度は友人Kが「ベビー用の全身ソープなら一本で全身行けるし、泡で出るタイプあるから」と教えてくれました。これがめちゃめちゃ重宝しまして。髪がロングの時だったらちょっときしきししたかもしれませんが、今のベリーショートならその泡石鹸に軽くドライヤーの時用のコンディショナースプレーを使えば何の問題もありませんし、なにより、術後からシャワー浴が許可され、次回外来まで一ヶ月の間、患部はそーっとそーっと洗ってあげないといけません。それは普通のタオルに普通の石鹸ではとても無理なので、またしてもベビー用全身泡石鹸大活躍の予感です。アドバイスしてくれた友人達に感謝感謝。

 またその友人Mは自分自身も疲労困憊ストレスMAXの中、入院中の私にちょいちょいメールをくれて癒しや萌えをそっと差し出してもくれました。自分が大変な時にホントに有り難かったです。

 そして入院中に、自分もそんなに体調良さそうじゃなかったのに態々お見舞いに来てくれた友人U、ほわっと癒されるオーラというかムードのある人で、彼女と話すといつもとてもリラックスできるので、元気な顔を見せることも出来ましたし、先日私が巻き込んだ格好で彼女に迷惑というかとばっちりが行ってしまった出来事があり、その件もずっと心に引っかかっていて、メールやDMなどじゃなくちゃんと会える時に話したいと思っていたので、会えて話が出来て本当にホッとしました。可愛いお花を持ってきてくれて、大変に殺伐&雑然としている私の部屋に今も彩りを添えてくれています。会いに来てくれてありがとう。

 更に「入院期間中のスカステの予約が全日程網羅できない><」とあわあわしていた私に、いつもいつも、宝塚の録画のみならず色んな意味で一杯助けてくれて、甘え下手な私が珍しく甘えられるうちの一人である友人Gが、「大丈夫、録っとくから」と頼もしく請け負ってくれたので、後顧の憂いは猫達だけ、という状態で入院期間を過ごせました。いつも甘やかしてくれてホントありがとう。

 それ以外にも、twittermixi、ブログなどで心にかけて下さってた方々にも、ありがとうございました、本当にご心配かけました、お陰様で無事に帰ってこられました、と幾重にもお礼を言いたい気持ちで一杯です。

 勿論一番奮闘して動揺してへとへとになりながら病院と家を何度も往復した母が一番大変だったのは重々承知しており、とても感謝もしているのですが、何分にもこじれた母娘ですのでなんというか、手放しで「お母さんありがとう!」というのとはちょっと違うかな、となってしまうのがなんとも因業な感じでございます。

入院した日は13日の金曜日でした

 さて下らぬ与太話ではゴザイマスが、幾つか前のエントリーで私の13金に対する並ならぬ熱い思いはご理解頂けているかと思います。

 入院日当日は割と引きも切らずに色んな人が病室に様子を見に来たり話をしに来たりするので、タブレットに入れていっても見ている暇がないのじゃないか、という危惧から、12日の24時を廻った瞬間、つまり13日の金曜日の0時を過ぎた瞬間から、予告通り大先生の「ザ・ブルード」をがっつり堪能して眠りにつきました。

 したところ、やはり緊張していたのか朝少し早く目覚めてしまいまして。ん?これはひょっとして出る前にもう一本観られるか?!となって引っ張り出してきたのが同じく大先生の「戦慄の絆」です。双子で双方の役割を双方心得てとても上手くやっていた婦人科医が、一人の女性と出会ったことで双子としての関係に亀裂が入っていき…というような、まぁホラーというよりはドラマなのですが、そこはそれ、大先生です、変態ギミックは当時はまだ普通に炸裂してましたし、何しろネタが「婦人科」ですから、子宮全摘入院前にこんな素敵な悪趣味もないだろうと、出かける時間と映画の尺の関係でちょっとばかり早送りした場面はありましたが、あの悲惨なラストシーンまでちゃんと見届けてお家を出ましたとも。

 そんな充実した13金を過ごした御利益か、入院中に、私の病室の床が看護師さんのうっかりミスで血塗れになる、というアクシデントがありました。点滴の針を抜いた時にチューブにたまっていた私自身の血液がチューブを伝って、こう、どばーーーっと。私のパジャマの足も看護師さんのナース服にも結構大きなシミになり、私の病院内用スリッパにも飛沫が飛び散るというおまけ付き。勿論床にぶちまけられた血だまりは速攻写メりましたとも。というか、看護師さんがまだいる時点でもうにやにやが止められずにかなりな不審者だったと思います。

 術後の説明の際に術中の自分の子宮とか隆起を切開した所とか色々見せて貰ったんですけど、これは興味深く見入る物であって、あんまりにやにやするような物じゃなかったですねぇ。それよりも不意の血だまりの方が「くふふ」っていう感じでした。

 

 はい、例によって大変に偏差値の低い感じでしょうもない締めですが、行って帰ってきてとりあえず今はもの凄く急いでどうにかしなきゃならない癌細胞はなくなって、無事に生還しましたよ、というご報告でした。