浸透圧

好きなものを好きと大いに言い、自分内の流行り廃りや自分自身を整理整頓したりもする、日々の徒然。

続けられればなんとかなる

ボイストレーニングに通ってます

 かれこれえー何年だ、一番古い記録が1998年の8月ですから15年位にはなりますか。いっちばん最初に行ったのは所謂スクール系の所のボーカルコース個人レッスンで、そこと今の師匠のレッスンを掛け持ちするようになったのが2005年、これは完全にペットロスで狂ってた時期で、兎に角何かをしていなければ居ても立ってもいられなかった時期のことだったと思います。で、二つのレッスンを暫くかけもちする時期を経て、スクール系に関してはもういいかな、と思う所もあってスクールの方を辞めたのが2010年6月、頃を前後して2010年2月(確か)ベルカント唱法、つまり声楽の一種のトレーニングも受け始めました。両輪で回していると相互が相互に良い効果をもたらすようで、スクール系と今の師匠のレッスンの二本立ての時にもそれは感じたのですが、ベルカント唱法という今までと全く違うアプローチをしてみて、本当に得る物が大きく、三本立ては流石に経済的に無理となるとやっぱり一番最初にスクール系を切る事になりました。

 ご本人がアーティスト活動もされているので名前出しちゃいますけど、ボイストレーニングの方の今の師匠は石村吹雪さんという方です。お人柄もありましょうし商売柄と言う所もあるのだと思いますが、頑固な芯をお持ちの割にというかだからこそというか、もの凄く柔らかい人当たりと受容性の高さを持ち合わせた方で、私は自分が過剰なタイプなので、受容性の高い方といるととてもリラックス出来るせいもあり、本当に色んな事をお話しますし、相談にも乗って頂いているので、勿論ボイストレーニングという繋がりあってこそですが、師匠として色んな事を与えて下さってる方だと思っています。

 一方でベルカント唱法の先生は、そもそもの出会いが私の衝動的な物だったのですけれど、運命の前髪をがっつり掴んだ逃せない幸運だったと思っています。家から最寄り駅の間にずっと「ソルフェージュ、ピアノ、声楽」という看板を出している個人宅があって、前々から気にはなっていたのですけれど(それこそ十年単位で)、何故かその時「行くしかない」と思ってチャイムを鳴らして、「あの、声楽って書かれてますけれど、ベルカント唱法を教えて頂くことは可能ですか?」と尋ねた所、本当に偶々、幸運にも、先生がイタリア留学経験有りのベルカント唱法体得者だった、という有り得ないラッキーでした。ファルセットが出せなくなった時期が結構長くあったりもしたので、高音が苦手という意識がもの凄く強く、「ハイトーン出せずにメタル歌えるか」というしょんぼり感もあって高音域をどうにかしたいと思った時に、上に持っていってもがっつり芯の通るベルカント唱法って何かの参考にならないか、と思ってのことでしたが(元々オペラは好きでしたし)、幸いスクールと吹雪さんの両輪回しどころではない効果が歴然と出ました。 しかもなんと私は喋る声が比較的低めなので思ってみたこともなかったのですが、声楽的な声域は完全にソプラノでした。まぁ吃驚。

 

頭打ちの時期ってあると思います

 習い事を長く続けていると、あ、今伸びてる、という手応えがある時期があるのと同様に、どうにもこうにもなにをしていいんだか、なにがあっていてなにが正しくないんだか、全く何一つ手がかりがなくて迷路の中を彷徨うような時期も経験すると思います。そこで「ま、やってりゃなんとかなるさ」と思えるか否かが、続くかどうかの境目だと思うんですけれど、その頭打ちの時期を乗り越える一歩はやっぱり「好きかどうか」でしかないと思います。後は、過去にそれを乗り越えたことがあるかどうか。

 私は楽器はからっきしですが、鍵盤だけはちょっとだけ出来なくもありません。でも今例えば弾き語りをする為にでもなんでもいいですけれど、そういう楽器に対する努力をする気には正直いって全くなれません。楽器に向かいあう時間があるならそれより何よりまず歌うことをどうにかしたいと思ってしまうのです。勿論楽器演奏を聞くのは大好きです。人間の声帯ではとても出せない音を軽々と出せる楽器は、表現媒体として素晴らしいとも思います。ただ、それをやる自分の想像が付かないだけです。過去にピアノもエレクトーンも習っていて尚、です。

 但し、ピアノなんかバイエルの何処で終わったかも覚えてませんけど、ハノンだけは好きでした。運指練習の為の教本で、何のメロディがある訳でもないなんのセンスが必要な訳でもない、ただただ向かい合って努力すればなんとかなるもの、というのが私のハノンに対する認識です。勿論やったことがあるのは最初の方の物だけですから、後半の「ピアノやる奴は全員リストにならなきゃならんのか」と言いたくなるような超絶難関にぶち当たっていないから気楽にそう思っているだけですけれども。

 歌についてもだから私は割と楽観的で、やってりゃなんとかなるだろう、位に思っています。それは幾度も壁にぶち当たり、幾度もそれが何とかなってきているからという経験則と、これを奪われたら間違いなくアタシは自殺を考えると言う位に、私に歌が必要だからです。必要な物なので、努力するしないではなくやって当たり前の事をしているだけです。

 ちなみに声楽には「コールユーブンゲン」という、ピアノで言う所の「ハノン」的なものがあるのですが、私はこれもかなり好きです。そういうと吹雪師匠にもベルカントの先生にも「変わってるね」と言われます。そういう地道な努力が苦手だったり嫌いだったり、途中で難しすぎて挫折なさったりする方は結構多いのだそうです。私がコールユーブンゲンが好きなのは、ハノンと同じでやってればどうにかなるからです。最初は出来なくて惨憺たる有様で出来ない自分に苛々したりもしますけど、まぁ数をこなせば何とかなります。今までなってきてますし、そもそも芸術的センスとか才能とかが必要な物じゃないので頑張れば私にでも出来ますから。

 

向き不向きはではなくどれだけ好きか

 ハノンやコールユーブンゲン同様、私が「やってりゃなんとかなる」と思っている物の一つに、あるタイプの音ゲーがあります。今出ている物ですと「初音ミクプロジェクトmirai2」がそれに当たります。過去作だとリズム天国とか応援団とかリズム怪盗とか。私は一度PS2次代にゲーム離れをしてDSでゲームに戻ってきた口ですので、所謂ビーマニとかあの手の音ゲーには触ったこともないんですけど、DS、Wiiでやった音ゲーは割とどれも好きです。パーフェクトを出そうというようなスコアアタックはやりませんし出来ないとも思いますが、とりあえず90%程度、mirai2のスコアでいうとパーフェクトではないけれどランクとしては最高位のSSランク、位まではやれそうな気がしますし、mirai2も今そうしてやり込んでる最中です。とてもこれは無理じゃないかっていう譜面もあるにはあるんですけど、繰り返してやってればそのうち何とかなるんじゃないかなと思って日々スコアアタックしてます。これは私が音ゲーが好きで、そして壁に当たって乗り越えた成功体験があるから続いていることで、そうでなかったら多分とっくに投げ出しているでしょう。 それが証拠に、私は自分が苦手であるアクション要素のあるゲームに対してその類の根気の良さは絶対に発揮できません。

 彼我の境は何かと言えば向き不向きというよりは、どれだけその対象に「好き」って気持ちを持っているかではないかと思います。私が歌の為なら惜しまない努力も楽器の為には惜しむように、音ゲーの為なら惜しまない努力も、マリカやFPSには絶対に発揮できないように。そしてアクション要素があるものは全然駄目と良いながら、ただ一つEDFだけはどれだけ下手くそでも低ランクでもいいからクリアの為に努力が出来るのは、偏にEDF愛に他なりません。下手なら下手なりでもいいからやりたい、と思えるかどうか、やるんだったらやっぱり上達したいから多少しんどくても努力を続けられるかどうか、というのは畢竟「好き」のパワーで乗り越えられることであり、逆に言えばそこまで愛せる対象でないなら挫折もやむなしじゃないかなという風に思います。そこまで好きになれること、努力ができること、自体がこの場合才能なのかも知れませんね。

 別に自分に歌の才能があるとか思ったこともありませんけど、続ける自信だけは売る程あるっていうのは、やってればなんとななると思ってるからです。だからって声帯の長さには限界ってもんもありますから、ソプラノの私がアルトの歌を歌えるとかそういう所まで何とかなるって思ってる訳じゃありません。身の丈なりに何とかなる、そして努力で埋まる物もあるというのを知っている、っていうただそれだけですね。

 

そういえばこの間親友とカラオケに行きました

 彼女の歌はとても個性的で彼女らしい歌なので私は彼女の歌がとても好きです。だから一緒に歌いに行くのは実をいうとちょっと気後れもあります。私は私の歌をちゃんと歌えているのかどうか、上手か下手かではなく、伝える為の歌をちゃんと歌えているのかどうか、自信がないからです。一時期ちょっとは歌えるようになったかななんて調子に乗ってましたけど、最近とうこさんを筆頭に上手いジェンヌさんの歌を沢山聴いていると、とても「歌えてる」っていえないんじゃない?という気がまたしているので、今はきゅきゅっと身を引き締めている時期ですね。でもこれもきっと、続けていればまた「あれ、少しはできたかな?」って思える時期も来ると思います。きっとずっとその繰り返しで「よし、これでもう完璧だ!」なんていう日は絶対に来ないだろうところが、こういう芸事の楽しい所ではないかという気もします。

 そしてこんな話題の時にタイムリーに、さっき晩ご飯を食べながら丁度母が「ヘルマンハープをやってみたい」と言い出しまして。彼女は幸か不幸か何をやっても卒がなく、人並み以上にこなせてしまう人で、だから私の言う「習い事を続けていると感じる頭打ち感」も今まで感じたことがないそうです。ただ、音楽に対してだけはもの凄く苦手意識があってだから最初から近寄りもしないというスタンスでずっと来ていたんですが、私はずっと歌を歌っていて泣いたり笑ったりしてますし、ここの所義父がオカリナを始めたのも多分影響しているのだと思います。手放しに生活や資格に繋がらない、純然とした楽しみというのを彼女は働いて子育てしてきた人なので持ったことがないに等しい、そういう意味では潤いのない人だった訳なので、それは是非やってみなよと力一杯勧めておきました。そして一度は頭を打てば良いのです。そこを乗り越えられるか乗り越えられないかって結構、物理的なそれでなく、一個人として生きる人間としての基礎体力に繋がると思うので。